行 動 記 録 |
■ 7月25日(木) 薄曇り
この夏は体調がおもわしくなかったので、夏山の計画もギリギリまでたたずにきたが、やはり夏が来ればじっとしていられずばたばたと夜行で出発する。
息子から「結婚25周年記念」にと貰っていた5000円のJRチケットも使って、中央本線経由小海線茅野駅までの乗車券と臨時急行
"ちくま81号" の急行券を買い車中の人となる。
この列車は塩尻駅で乗換のため、翌朝の4時10分に腕時計のアラ−ムをセットし、指定席より空席の多い自由席の車両に移って横になり眠りにつく。缶ビ−ルのほろ酔い加減も手伝ってか、直ぐにぐっすり寝込み途中座席から床面にずり落ちたのも気がつかずに眠ってしまっていたらしい。
指定席でうつらうつらしていた母さんが停車中の駅を確認して「塩尻」に着いていることに気付き、「おとうさん。大変!塩尻よ!」と自由席でぐっすり寝込んでいる私を起こしに飛び込んでくる。大慌てで靴を引っかけ、2輌ほど後ろの指定席に戻り荷物をひっさげて飛び下りる。幸いこの駅は新宿から来る中央東線との合流駅で、停車時間もやゝ長かったことに助けられたようなものだ。大阪で横の席に乗り込んだ二人ずれにも「アラ−ムをセットしてますから大丈夫」と安心させていた手前、面目まるつぶれのスタ−トとなってしまった。
「反省! 腕時計のアラ−ムは列車の中では聞こえない。やはり車掌に起こしてもらうのが確実」。 |
■7月26日(金) 曇り後雨
乗換えに降りた塩尻駅のホ−ムで、小海線の始発列車の時間5時47分までの1時間あまりを、頭がボ−ッとしてまだ寝覚めぬ身体をもてあましながら、曇天の空にこれ以上天候が崩れないことを願う。
6時14分JR茅野駅着。ここで降りた登山者は三々五々相乗りタクシ−で出発してゆく。我々も夫婦らしき二人のパ−ティ−と相乗りタクシ−で美濃戸へ向かう。途中、コンビニエンスストアに立ち寄って貰い、おむすびなど簡単な朝食を買い込み、6時40分美濃戸口に着く。
久しぶりに踏む八が岳が待ち構えてくれる。昭和37年(1962 年) 5月の残雪期に来てからだから、実に29年ぶりの訪問だ。北アルプス・南アルプスにせっせとあしを運んでいたため、八が岳とは随分疎遠になっていたことになる。都会と違って山は変わりなく迎えてくれることが何より嬉しい。
小屋の前を過ぎ、15分ほど北谷側に入った川原の、ゴロゴロした大きな石の合間に適当な平地を見つけ朝飯とする。天候はすっきりしない。出発前に確認した天気図では、日本海に低気圧があることに加え、石垣島付近にある台風9合の影響が徐々に現れてくるころであることは十分に予想される。
付近に咲くクリ−ム色したヤマオダマキや、ピンクの泡々したシモツケに誘われるように腰をあげ、北谷への道に向かう。途中、美濃戸の手前にある小松山荘の店先に置かれたセルフサ−ビスの熱いお茶を一杯いただき先へ進む。街では8時30分にもなれば、すっかり真夏日の太陽が勢いづく頃であるが、この辺りの風は涼しく、曇りのせいもあってか気温16度の風は実にヒンヤリと感じ、一度は捲くり上げていた腕のシャツをいつしか下ろしていた。
北沢を詰めてゆくうち花の数も増えはじめ、ヤマオダマキ、コバノイチヤクソウ、アカショウマ、あやめ、マツヨイグサ、クサフジ、など稜線にはない麓の花々が競って咲いている。時々これらの写真休憩をとりながらゆっくり進む。途中、左岸の危なっかしい斜面をガサガサとカモシカが足早に移動してゆく姿を2度見かけたが写真に収めることは出来なかった。
約3時間の行程で沢が大きく右に折れるところに建つ赤岳鉱泉の小屋に着く。29年前のイメ−ジからは随分と大きくなった山小屋に改築されているのに驚くと同時に、過ぎ去った時の多さに改めて感慨深いものがこみあげてくる。鉱泉という名があるところから随分昔は温泉が湧きだしていたのかも知れないが、我々が知るかぎりにおいては、どのガイドブックにも赤岳鉱泉に湯が出るとの記事を見ていないことから、随分昔のことなのかもしれない。
今日の泊まりはここではなくこの先の行者小屋と計画しているため、ここではやゝ長い休憩をとり、昼弁当とする。
赤岳鉱泉の小屋からは、気持ちのよい樹林帯を森林浴を楽しみながら赤岳の西の裾野を南に向かい、中山峠を越えて行者小屋の建つ明るい谷間にたどり着く。しかし何故かこの辺りは高山植物は見当たらず、先程までの北谷の華やいだ谷筋とは異なり、一面の緑が一段と美しく感じさせられる所である。おそらく地質的にも何らかの違いがあるのだろう。それはそれでまた興味のある現象ではあるが、やはりちょっと寂しい感じがするのも仕方がない。宿泊の申込みをし、案内された部屋は窓からの眺めのよいまずまずの場所で、相部屋の先着登山者に挨拶を交わし、適当なスペ−スを一夜のマイベッドに確保する。
万歩計の数は12000歩を少し過ぎた値を指していた。登山行動日の歩数としては半分くらいか。
天候は段々悪くなる様子で、ガスも濃くなり視界も悪くなってきた。本来だとここからの眺めは八が岳の主峰赤岳のすらりと突き上げた稜線をはじめ、かなりの傾斜で盛り上がる阿弥陀岳。その間にかかる吊り尾根の中央にちょこんと遠慮がちな膨らみを見せる中岳。目を90度左に回せば横岳のギザギザした稜線から壁のように切れ落ちる山肌は、岩登りの対象となっている感じがよく読み取れる・・・はずであったのに残念。
やがて小雨がぱらつきはじめ、今回もまたスッキしない山行になるのかと少々気が重くなる。昨年の白馬から雪倉、朝日岳のときは白馬山荘で台風の直撃を受け、完全に1日山小屋で缶詰になったことが頭によぎる。「初めてのことでもあるまい 何とかなるさ」と開き直りでラジオの気象通報を聞きながら天気図を描く。気にしていた台風9号は975
mbと勢力を強めてきており、さらに別の低気圧が発達しながら日本海を西へ時速35Kmで進んでいるという天気図となった。「低気圧の場所が悪い。明日はこの低気圧の寒冷前線が通過し、その後は台風の影響もじわじわ出始めることだろう。2、3日はどうやらぐずつきそうな気圧配置」と判断する。明日の行動にはかなり影響は有るかも知れないが、まあ濡れながら、写真を撮りながら登ってゆくこととしよう。
19時30分、気温11度 時々強い雨足で屋根のトタンを叩きつけるが、それも子守唄となり眠りに着く。
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■ 7月27日(土) 強風 雨降ったり止んだり 濃霧
4時30分起床、5時前に洗面のため外に出てみると、横岳〜赤岳〜阿弥陀岳の稜線がうっすらと朝焼けに照らされている。中でも阿弥陀岳の朝焼けが素晴らしかったため、急いで洗面を済ませカメラを取りに部屋へ戻り飛び出してくる。しかしほんの一瞬の出来事だったらしく、戻ってきたときにはもう紅の稜線はなく、「雲よ切れろ!」としばらく待ってみたがガスが濃くなるだけの幕切れだった。
5時30分朝食、6時35分小雨のパラツク中、今回購入した新品のゴアテックスの雨具を付けて小屋を飛び出す。
大半のパ−ティは小屋から赤岳基部に突き上げる文三郎尾根を登ってゆく。29年前には無かったのか全く記憶にないコ−スである。我々は予定通り中岳と阿弥陀岳とのコルに向かうコ−スを進む。
予定ではこのコルにザックをデポし、空身で阿弥陀岳往復を計画していたが、天候が悪く視界も利かないこともあって、往復1時間の阿弥陀岳は断念し少しでも時間を節約することとした。 中山のゆるやかなピ−クを越え、行者小屋から直登してくる文三郎尾根の道と合流する。この文三郎の尾根道はもっと悪場かと思っていたが以外と登りやすそうで、赤岳への近道コ−スとして最近では良く使われているようだ。
約100mの高度差があるこの肩からのル−トは、今までのコ−スとは一変し鎖場から始まった。風当たりが次第に増してくる中、2〜3のパ−ティが赤岳から下ってきた。昨夜は頂上小屋泊まりだったのだろう。上の状況を聞いてみると「ガスと風が強くキビシ−ですよ」との返事。7〜8mの視界のなか、所々に示された白ペンキの矢印を、ガスの切れ間から拾うように探し出して岩場を登ってゆく。
このあたりから冬場は難儀するところだろう。途中、稜線へ吹き上げる突風の様な風に何度か立ち止まりながらも、約20分でこの岩場の急登も終わり、強烈な風が吹きまくる赤岳頂上に着く。
「赤岳 2899m」と刻まれた木製の道標につかまり記念の写真を写す。幸いガスは一時的かもしれないが切れ間をつくり視界が開ける。眼下に今朝の出発点「行者小屋」が小さく樹林の中に建っているのが確認できるが、これから進む横岳方面は未だ濃いガスに包まれ全く確認できない。
頂上から10分程下った所に赤岳頂上小屋が建っており、ちょっと立ち寄り直ぐに出発。強風と小雨の中を鎖と白ペンキを頼りに稜線左手岩場のトラバ−スを進み、「元祖赤岳山荘」と掲げられた地図上の「赤岳展望荘」に着く。ここが昔の「赤岳石室」であり、そこから「元祖」の意匠?を使っているのかも・・・・。石室にしてはなかなか立派なたたずまいになっており、”風呂もあり”との表示に少々首をかしげながら後にする。
ここからしばらくは八が岳の核心部を縦走することになる。岩稜づたいに進み何度かの鎖場を通過し、幾つかのピ−クからなる横岳に到着。岩影の風当たりの弱いところを選んで昼食休憩とする。
この頃から雨具のフ−ドの中にかぶっていた帽子が吹き飛ばされそうになってきたので、帽子をとりフ−ドをしっかり締めなおし万全の体制で進む。一瞬ガスが切れ視界が開けたため天候回復の兆しかと期待したが、5〜6分後には無残にも裏切られ、さらにひどい強風と横殴りの雨足の中に立たされている始末。
この辺りからガスが無ければ、大同心峰・小同心峰の威容な岩峰が望められるのだが今回はとてもそんな雰囲気ではなく、ひたすらコ−スを誤らないように前進するのみとなった。そのような環境の中、強風にさらされながらも、まるで歯を食いしばるようにして咲いているチシマギキョウやイワオオギ、コマクサやタカネツメクサ、イブキジャコウソウ、ミヤマシオガマ、ミネウスユキソウ、ミヤマキンバイを風の合間を見計らって写してゆく。真昼と言うのにフラッシュを使わないと暗くて撮れない。
横岳から硫黄岳へのル−トは今までの岩稜とは異なり、なだらかな斜面を登ってゆくため足元の危険は少ないが、その分視界が利かないためル−ト判断に慎重を要する所だ。濃霧と相変わらずの風雨の中、コ−ス案内に建てられた高さ3mもある大きなケルンを幾つか見つけ、たどりながらひょっこり硫黄岳頂上に出る。
雨具のフ−ドも吹き飛ばされそうだが、地図と磁石でしっかり方向を確認し夏沢峠の樹林帯コ−スへ下ってゆく。ゴロゴロした砂礫の下り、ときおり写真休憩を取りながら12時40分、こまくさ荘、山彦荘が向かい合って建つ夏沢峠に到着。
今日の行動予定はここまでとし、どちらかの小屋に泊まることとしていたが、どちらの小屋もその名に似つかず暗くて陰気な雰囲気にちょっとためらう。雨がどしゃぶりになってきたのでひとまずこまくさ荘の軒下で休憩し少し検討することとした。まだ時間も早く、もう少し足を伸ばし、根石岳手前の根石山荘まで頑張ることとし、軒下で2度目の昼食をとる。
13時15分、まだひどい風と雨が降り続く中、根石岳に向かう。ハクサンシャクナゲ、イワオオギ、ミヤマキンバイなどの群落に気分をなごまされながら進み、やがて砂礫の広い尾根にナイロンロ−プで仕切られた道に出る。ロ−プの内側には、コマクサが点々と咲き、強い風にちぎれんばかりに揺れている。コマクサは実生から花が咲きだすまでには10数年の時間がかかると聞いが、そのためにもこの程度の雨風なんぞには負けられないのだろう。けなげな姿に無事な成長を祈ってやりたい気分だ。
14時丁度に根石山荘に着く。(今日の歩数はここまでで12600 歩、外気温度11度、室内温度15度)16時からのラジオ天気図を作成したが、九州から近畿・中部地方に停滞前線があり、台風9号にも影響されて、この荒れ模様は2〜3日は変わりそうにはないようだ。明日からの行動はもう一度明日の天気予報も含めて決定することとし、今日の行動を終える。
外はますます風が強くなってきた他のパ−ティたちも明日以降の行動をしきりに検討しているらしい。 |
■ 7月28日(日)烈風・小雨・ひときわ激しい濃霧
4時40分起床、昨日よりさらに風も強まってきており、小雨も混じりかなり厳しい行動を余儀なくされそうだ。一夜を共にしたパ−ティ(約40人くらい)のうち、中年女性6名に男性リ−ダ−が引率の7名のパ−ティは、我々が昨日縦走してきた横岳〜赤岳を縦走する計画だったそうだが、すぐ南の夏沢峠から本沢温泉へ下山することにしたとのこと。他のパ−ティもここからの縦走は断念し、本沢温泉や赤岳鉱泉へ下山することにしたらしい。 我々は一応予定通り主稜のに出、とにかく根石岳〜天狗岳〜中山峠まで進むこととし、朝食後6時30分根石小屋の管理人に一夜の礼を言って小屋を出発する。
この辺りはコマクサの群生地となっており、ロ−プが張られた中には入れないため、ロ−プの直ぐ傍に咲くコマクサをカメラに写す。激しい風にシャッタ−チャンスをじっと待ち、1枚撮るにもなかなか大変だ。そのまま進む女房の姿はたちまちガスの中に消え、ふ−ふ−喘ぎながら追いつくことのしんどいことか。やゝ広い稜線に出ると風圧がさらに強くなり、ときおり吹きつける突風の時など、14〜15Kgのザックを担いだままでもふらふらとよろけてしまう。それではと二人並んで腕を組み、重みをつくって前かがみに進んでゆく。初めて通るコースでもあり「ここで道を間違えては遭難ものだろうな」という思いが頭にちらつくが、地図と磁石で方向を確かめ、所々に示された白ペンキの目印を拾うように進んでゆく。途中若い女性3名のパ−ティが追いついてきたが、お互いほんの7〜8mまで近づかないと判らなかった。聞けば同じコ−スを予定しているとのこと。 7時05分東天狗岳着。今回の山行の中で最も強風の吹きつけるなかでの休憩となる。道標の方向をしっかりと確認し、全く視界の利かない中を中山峠に向け出発。
45分間下りが続き、7時55分に中山峠に着く。ここは既に森林限界の中で、苔むした地に大樹が茂る所で、もともと視界の利かない場所のようだ。その分風当たりも少なく、今までの稜線での孤軍奮闘が夢のような錯覚をもたせる所である。地図を広げ、ここからの行動について検討したが、展望コ−スとやらがあるが、このガスだと何も見えないだろう。今回はここから黒百合小屋経由、渋の湯温泉へ下ることにする。
黒百合小屋前で45分間の大休止、静かな地理的にも条件の良い場所のようだ。小屋の軒下に掛かっている大きな寒暖計の目盛りは14度を示している。下界より約20度は涼しい気温だ。
行動食を少々口に入れ、小屋を後にする。唐沢鉱泉の分岐点辺りで上空の雲に切れ間が現れ、上との天候の差をつくづく感じる。おそらく稜線では今もまだまだ強風が吹きまくっていることだろう。
やっと雨具とも縁がきれすっきりする。途中何度かの小休止をはさみ、長い樹林帯の坂を下ること2時間15分、11時05分にやっと渋の湯温泉に到着し、今回の山歩きの終わりとなる。
渋の湯で聞けば一人800円で入浴OKとのこと。少々高いがありがたい。早速着替えをかかえて風呂場に直行。
温泉と冷泉が一つの浴室にあり、交互に入る。冷泉の冷たいこと・・・。
サッパリした気分で軒下を借り昼食を済ませ、下山のバスの時刻を調べたところ、14時45分まで無し。そのうち下山してきた夫婦らしき二人パ−ティに声を掛け、彼らの入浴を待ってタクシ−の相乗りで茅野駅まで出ることとする。余り時間が無いというのに奥さんの方がなかなか出てこない。イライラしながら待ち、やっとのことで13時10分タクシ−出発。
うまく行けば茅野駅13時44分発に間に合い、塩尻からL特急 "しなの18号”(15;07
発〜大阪19:22 着)に乗れ、今夜中に帰宅できるのだが、茅野駅で間に合わなければ、10時間ロスの夜行列車での帰宅となり、この差は大きく何としても間に合いたいものだ。相乗りの二人は関東の登山者らしく、そんな気配は全く無い。やきもきしても始まらない。運転手に任すしかない。
茅野の街に入ったころはもう諦めていたが、駅前に着いたのが3分前。大急ぎで荷物を下ろし、タクシ−料金(5190円)を折半し、駅の階段をザックを担いで駆け登る。自販機で190円のキップを2枚買い込み、さらに向かいのホ−ムまで階段を駆け上がる。もう発車のベルも鳴り終えていたが、最後尾の車掌に手を振り合図、二人がフ−フ−言いながら間一髪のセ−フ。タクシ−到着がものの10秒も遅れていれば、さぞがっかりしたことだろう。このことは荒天つづきの今回の山行で唯一ラッキ−だったことになる。
指定席は満席の為とれなかったが、幸い長野から増結された自由席に席がとれてホッとし帰路につく。21時30分頃帰宅。
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