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行 動 記 録
■ 7月31日(日) 晴れ

今年の夏山も高山植物の名所を訪ねて計画することとし、加賀の白山(石川、福井、岐阜3県にまた がる2702mの独立峰)に登ることとした。 あいにく7月29日午前2時頃の真夜中に息子が急激な腹痛を訴え、救急車で垂水区の飯村病院に入 院することとなり、山行きは駄目かと思案したが、幸い急性胃炎程度らしいが念のため1週間ほど検査 入院し、様子を見ることとなった。家に残すより病院の方が安心であり、本人も大丈夫と言っているの で予定どおり7月31日に出発することとした。 22時05分家をスタ−ト、三宮から大阪まで新快速に乗り、大阪23時55分発臨時急行 "リゾ− ト立山"で金沢へ向かう。  

■ 8月1日(月) 晴れ

早朝の4時06分JR金沢駅着。目的地である登山口の別当出会行きの始発バスは5時30。待ち時間も中途半端で仮眠できるほどでもなく、できればタクシ−を相乗りして入山しようと相手を探すが以外と少なく、登山者らしき人影は女性4人パ−ティを見たのみである。  顔を洗いタクシ−乗り場へ行き相乗り登山者がいないか、タクシ−料金とバス料金を調べたりしていたが相手がいないことには仕方がない。さきほど女性4人のパ−ティはタクシ−で出発していったとのこと。当然の行動だろう。  しばらく待っていると中年男性2人のパ−ティが来たのでタクシ−の相乗り交渉をし、別当出会いの登山口に向かう。ところがタクシ−の運転手が道を間違え一つ手前の沢筋に入り込み、途中から引き返し30分程のロスタイム。この運転手はアルバイトか?・・・・・・・ちょっと不愉快な思いで別当出会いに6時45分到着。タクシ−料金は道を間違った分を除き15,000を2等分して払う。彼ら二人組ともここからは別行動。  我々はここで持参してきた朝食のおにぎり弁当を食べここからの登りにそなえる。『室堂は水不足のため水を補給して登ってください』との立て看板があり、今年の晴天続きがここでも深刻なようだ。  先程のおにぎりをエネルギ−にさあ出発。靴をしっかり履きなおし柔軟体操で体をほぐした後、7時20分歩きはじめる。見上げる稜線のあたりはガスがかかあっているが多分このガスは朝方だけの気流のいたずらによるものと判断。山道に入ると直ぐのところで「黄花イカリソウ」が出迎えてくれる。  白山は日本でも有数の高山植物の多い山と言われており、「ハクサンイチゲ」「ハクサンフウロ」「ハクサンコザクラ」「ハクサンシャクナゲ」「ハクサンシャジン」「ハクサンチドリ」「ハクサントリカブト」と花の名前にハクサンの付くものも多く、花の百名山にもその名を連ねておりこの先が楽しみである。  この山の崩壊は激しいらしく、治山工事の歴史も古いと見え、工事用の道路もかなり奥に延びている。砂防ダムも段々畑のようにつづく沢もあり、地質的にも崩れやすい地層なのだろうか。  砂防新道と名付けられたこの道は、白山登山道としては最もポピュラ−なコ−スであるが結構登りが長い。途中何度か休憩をとりながら9時15分に甚の助避難小屋の地点に到着。その名のとおりの「避難小屋」という感じの小屋であるが、冬季は大いに役立つ拠点となることだろう。  山の上部のほうには一時無くなっていたガスが再びかかりはじめた中を、荷揚げ用のヘリコプタ−が室堂方面に向かって飛来してゆく。  10時10分、高山植物の多い南竜道との出会いに着く。ここからは計画としては南竜山荘経由展望歩道又は、トンビ岩コ−スより室堂へゆく予定であったが、ここまでのコ−スが予想以上に厳しく疲れていたので、ポピュラ−な弥陀が原経由のコ−スに変更する。この辺りはピンクの米粒よりも小さな花弁の花が何百、何千も集まった咲くシモツケソウ、紫の特徴ある花弁のハクサントリカブト、大きな葉っぱの真ん中に白く清楚な感じの花を付けて咲くキヌガサソウ、5ミリほどの薄黄緑色の釣鐘を吊り下げて咲くアオノツガザクラ、他の高山植物が一面に咲いているお花畑で、大自然のなかでいきいきと咲いている光景は、疲れた身に目を楽しませてくれる。  途中の水場で喉を潤し、水筒に水をたっぷり補給し先へ進む。黒ボコ岩の急な坂を登り切ると弥陀が原の広い大地が目に飛び込んでくる。のんびりとこの台地を進んだ後、室堂への最後の登り "五葉坂"にかかる。はい松しげるこの坂の傾斜はここまでの坂道に比べればそれほど急な坂ではないが、かなり疲れてきた身にはこたえる登りとなる。もう少しで室堂に着くと思いつつ、「腹がへっては力もでない」ため、無理をせず手前の静かな所で行動食の昼食休憩としよう。  約10分の登りで室堂に12時20分到着しほっとする。ここからは頂上の御前峰がどっしりと構えており、明日の登りを待ち受けている。今日はここまで、しばらく休憩し小屋の受付で宿泊の手続きを済ませる。  荷物を置き夕食までのひとときを周辺の散策に出掛ける。この辺りもお花畑になっていて、ハクサンフウロ、イワギキョウ、タカネナデシコ、ミヤマシシウド、オトギリソウ、ハクサンシャジンなどが可憐な色、形の花を付け真剣に虫たちを誘っているのだろう。中でも黒ユリが多く目についたが、あいにく時期的にすでに花の最盛期は過ぎてしまったようで、そのほとんどは花の後である。  よく見ると咲きおわった黒ユリの花はメッシュの細かな網で包み込むような手だてがされている。どうやら黒ユリの実生を採取するためのようだ。  夕刻のモルゲンロ−ト(夕焼け)を期待していたが、ガスが出始め今日は駄目。早い夕食を済ませ翌 朝の小屋の朝食は弁当で貰うこととし、就寝でのひとときを部屋の "自分のスペ−ス" でくつろぎ20時就寝につく。  

■ 8月2日(火) 中腹より上部は濃霧

3時30分に起床し、出発の準備を済ませ小屋の外にでてみると、昨夕以上の濃霧に強い風が吹き荒れ、真っ暗な中で懐中電灯やヘッドライトの光に混じって人々の声が飛び交っている。天候は悪い方に向かっているのは間違い無さそうだ。計画では今日は頂上の御前峰を経由し剣が峰に登り、さらに北に進み七倉山のお花畑に足を延ばし、今晩はもう1泊ここで泊まることも考えていたが、この天候では行動範囲もかなり制約されると判断し、荷物は全部背負って行動することとした。  4時、室堂小屋を出発。懐中電灯の長い列に加わり御前峰へのガラ場の道を黙々と登りはじめる。大半の登山者は懐中電灯とヤッケや雨具以外は空身同然の軽装であり、ご来光目当ての登山のようだ。地元の中学生らしき団体も加わり、さながら富士登山のあの行列に似た光景がここにある。  4時45分、御前峰(白山頂上2702m)着。頂上に登るとガス・風はさらに激しく、今日のご来光はこの分だと残念ながら駄目。セ−タを着込んで登ってきたが、そのセ−タもガスの水滴によってかなり濡れてしまった為雨具に着替える。標高2702mのわりには気温はさほど下がっていないようだ。  これも今年の日本の夏の気象がカンカン照りが続いている異常気象のせいかもしれない。ご来光が見えないまま、大半の人(99%ぐらい?)は室堂へ登ってきた道を引き返してゆく。我々の今日の行動予定は、計画としては北弥陀が原手前の御花松原のお花畑や、七倉山のお花畑、剣ケ峰周辺のお池巡りなどの散策を予定していたが、この濃霧と強風では計画を縮小せざるをえないと判断し、とにかく大汝峰へ視界6〜7メ−トルの中を5時35分に出発する。  周囲は何も見えない。地図から判断すればこの辺りで紺屋池のすぐ横を通過するはずであるが、視界悪く池を確認できずに通過する。(多分通過したであろう?)御前峰までの行列がここでは嘘のような静けさがあり、人に出会うことも全く無くひたすらガスの中を進む。  ガスの中に翠ガ池の標識が突然現れ、注意して付近を見渡せば濃霧のなかにうっすらとガスとは違ったモノが見える。どうやら池の周囲に残った残雪らしい。ほんの10mほどしか離れていないのにその程度しか確認できずこの先が思いやられる。  晴れていれば火口湖の碧々とした池の水と、白い雪渓とのコントラスト、緑のじゅうたんの中に点々と咲く高山植物の光景に感激するところであろう。期待していた場所の一つであるだけに残念だが仕方がない。  濃霧と強風はさらに強くなり帽子も雨具のフ−ドの紐でしっかり縛りつけていなければただちに吹っ飛んでしまうだろう。6時25分〜6時50分、風当たりの少ない大きな岩影で昨夜貰っておいた山小屋の朝食弁当を食べる。熱いお茶のなんと美味いことか。  7時10分、大汝峰の登りに取りつくがコ−スがハッキリしない。人の少ないのはよいのだが、その分踏み跡なども薄く、視界の悪いときなどさらに判りにくくなる。なんとか踏み跡らしきガラ場のル−トを登ってゆく。頂上までの距離はそんなにないはずだが、上部を眺めてみてもガスでサッパリなにも見えない。傾斜が無くなり登り詰めた様子なので周囲を眺めるとすぐ前に大汝峰頂上を示す道標と神社の祠が立っていた。  これよりさらに北へ四塚山に向けての下り道を探すが、ここから先はさらに踏み跡が無くなり、視界もサッパリきかない。痩せ尾根ならコ−スもはっきりするが、なだらかな尾根すじでは安心して進めない。磁石で方向は確認できるものの、はっきりしない所をこのまま進むのも危険と判断し、引き返すことを決断。大汝峰頂上から引き返しはじめるが今度は今登ってきた道すら判断が怪しくなる始末。どうも先程のゴツゴツした登りではなく、草地の下り道らしき踏み跡を磁石で方向を確認しながら下ってゆく。御前峰と大汝峰との鞍部の台地に着いたところで、男女二人連れのパ−ティに出会う。「大汝峰に登りたいがここから道が判らなくなった。どの方向でしょうか?」と尋ねられ、我々が今登降してきた状況を説明し、大汝峰までは行けそうだと話したが、この荒天では危険と判断したらしくここから引き返すとのこと。しかし、ここで我々もこの二人も進む方向がさっぱり判らなくなり、地図と磁石で懸命にル−トを探すがハッキリしない。  ふと「リングワンデリング」と呼ばれる同じ所をぐるぐる回り歩く「さまよい現象」が頭をよぎる。その昔、たしか昭和39年2月の山岳部例会で「氷の山越え戸倉スキ−ツア−」をやったとき、二日続きの猛吹雪に頂上二の丸付近からの下りのコ−スがどうしても見つからず二晩雪中ビバ−クをした経験を思い出す。  冬にしろ、夏にしろ道が判らなくなり遭難するときはこんな状況から始まることが多いんだろうな、などと思いながら冷静に地図で確認してゆく。昔の地図は、「国土地理院」発行の黒い標高線がびっしり刻まれた5万分の一や2万5千分の一「地形図」のみであったが、最近は登山人口も登山層も増えたせいか、山の地図も登山者用に色鮮やかなものが出版社から出ており、いろいろと地図の中に書き添えられている。 「お花畑」「水場」「キャンプ地」の他、「落石危険」とか「鉄砲水に注意」など親切に記されている。なんと我々が持参した昭文社発行の「白山」の地図のこの地点には「ガスのとき、コ−ス注意」と記されていることが目につく。やはりここは「迷路の難所」らしい。ハッキリと地図上に記載するところを思えば、よほどその可能性は強いのだろう。たしかに言葉では説明できない不思議な世界に踏み込んだような感すらしてくる。やたらと草地のなかに踏み跡が交差し、パズルの迷路のなかでもてあそばれているようだ。二人のパ−ティとも離れ、「ヤバイかな?」少し焦りが出てきつつも、しばらく冷静に探すうちヒョッコリと出てきたところが、往路に休憩した大きな岩のある御前峰から鞍部へ下ってきたところであった。  予定では往路とは別のコ−スをたどって帰るつもりであったが、いまさら再び迷路に引き返すのもためらい、心残りはするもののハッキリしたコ−スを進むこととした。「また来ればよい。また来る楽しみに残しておこう」と。一時は不吉な雰囲気のなかで迷路をさまよったが、改めて山の気象の影響力の大きさを痛感させられたひとときであった。  8時45分、御前峰に帰着。室堂へ下るときは朝の行列が嘘のようなまばらな人の数となっていた。  9時20分、ガスに包まれた室堂の小屋に帰ってくる。天候も悪い、今回はここから今日の内に下山をしよう。公衆電話から麓の「白山温泉」に空きの照会をしたがあいにく満室。「白峰温泉を紹介するので尋ねてみて」と電話番号と旅館を教えてくれる。白山温泉からさらに少し下った所に位置する白峰温泉「白峰白山苑」の予約ができホッとする。  10時20分、室堂小屋を出発。20分の下りで観光新道出会いに着き、ここから往路とは別のこの新道経由で下ってみよう。昨日登った砂防新道に比べ、この観光新道はやゝきついコ−スであるが、それだけに人影も少なく静かなコ−スだ。その上お花畑の花の種類も多く、このコ−スを選んだことは正解だった。  13時15分、別当出会いに到着。14時のバスの時刻までのひとときを自動販売機の缶ビ−ルで喉を潤し大休止。14時の最終バスに乗り、14時40分白峰温泉で下車。白山は麓に温泉が豊富でありこの山の魅力でもある。ここの温泉は冬はスキ−場になるらしく、近くの山の中腹にスキ−リフトが2〜3本設置されていたる  麓の温泉で山の汗を流し、美味い料理と酒で山での消耗を補い、山旅の一夜を締めくくった山行となった。また是非出掛けてみたい山がまた一つ増えてしまった。  

■ 8月3日(水) 晴れ

9時過ぎ、温泉につかりくつろいだ一夜を過ごした旅館を出てJR金沢へ向かう。途中車窓から見るロッウェル式の手取川ダムもすっかり水量を減らし、湖底の亀裂が痛々しい。  金沢にて昼食を済ませ、12時58分発のL特急 "雷鳥30号"で帰神の途に着く。  17時20分帰宅。今年の "花の山旅"を終える。  

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