行 動 記 録 |
南アルプスにも素晴らしい山が幾つもある。北岳は昭和44年と平成元年の2度登ったが、その後「次は仙丈・甲斐駒」と計画してから、何かと実行に移せずここまで延び延びになっていた山である。
今回は単独行となったが、最近の山行きには珍しく好天に恵まれた登山が出来た。 |
■ 7月28日(日) 晴
アトランタオリンピック女子マラソンのスタ−トに合わせて20時分に家を出発。例年だと大阪発の夜行列車であるが、今回は姫路発の臨時急行”リゾ−ト白馬アルプス号”がダイヤに組まれていたので、7月初めに取り合えず塩尻までの急行券・座席指定券のみ購入しておいた。この列車だと山域は北アルプス槍・穂高・後立山方面、八が岳方面、南アルプス北岳・仙丈・甲斐駒方面と山の範囲も広がり、計画もしやすくなることを見込んでの購入であった。21時06分三宮から乗車、日曜日であるためかガラガラである。驚いたことに全座席に真新しいスリッパが用意されており列車の名前にマッチしたサ−ビスに感心する。大阪・京都から少しづつ増え名古屋を出るころは約8割が埋まる。ラジオでは女子マラソンの有森選手が3位でゴ−ルしたことを伝えている。ご苦労さまでした。幸い前の席が空いたままなので足を伸ばし、エア−枕を膨らませ、くつろいだ姿勢で仮眠の態勢に入る。 |
■ 7月29日(月) 晴
まだ明けやらぬ早朝の4時21分塩尻着。乗換のため下車するが、ここで降りた登山者は10名程度と少なく、中央東線の始発待ちのためそれぞれ待合室へ。
6時01分始発列車に乗車。乗客は先生らしき引率者が付き添っての高校生男子6名と、"DOCWV"
と染め抜いたそろいの登山服の女性8名の他一般客も含めて全部で20名くらい。WVはワンダ−フォ−ゲルのことだろうからどこか(DO?)の女子大(College)のワンゲル部だろう。途中茅野駅で6名下車、おそらく八が岳に登るのだろう。
7時32分甲府駅着。駅前のマクドナルドの店で朝食のハンバ−グを仕入れ、タクシ−の相乗り客を探すが人数がうまく合わず駄目。山梨交通のバスで行くこととする。始発駅であるにもかかわらずダイヤはあてにならないようだ。8時05分乗車、何とか座席に座れたが何人かは立ち席のままらしい。
ほぼ100%が登山客で、終点の広河原までは2時間15分の長距離である。荷物代はとっても座席は保証しないらしい。信州のバスに比べればなんと山梨は冷たいことか。それだけ登山者の数も少ないということ。バスに揺られながら、先ほど仕入れたパンをほうばり朝飯とする。
途中夜叉神峠で何人かの登山者が下車、ここから鳳凰三山に登るパ−ティだろう。10時丁度に広河原手前の大樺沢出合いで下車、登山届を提出。ここからは芦安村営のマイクロバスに乗り継ぎ、さらに約30分、大きく揺られながら11時00分に北沢峠に到着する。樹林のなかの静かな感じのよい峠だ。
今日の行程は馬の背ヒュッテまででありバタバタすることもあるまい。
11時25分峠を出発。道端にすぐに目についたのがたくさんの黄花のヤマオダマキと、やたらと群れて咲いているカニコウモリである。そんな中で大平山荘の手前では道から1mほど脇にひっそりと咲いたトンボソウとベニバナイチヤクソウを写真に収めながら進む。大平山荘からはかなりきつい樹林帯の登りがつづき、決して無理をしないよう慎重に登ってゆく。
このあたりにはカニコウモリとゴゼンタチバナ、マイズルソウが多い。適当にカメラ休憩を取りながら急な斜面を、出来るだけ小さなステップを拾うようにして登る。それでもどうしても大きなステップがつづいたあとは息も乱れる。ゆっくりでもいい、休みを少なくマイペ−スで行こう。
やがて道は藪沢に降り立つ。例年ではもう残っていない雪渓が、今年の雪の豊富さを反映してかまだ残っていた。雪渓末端の手の切れそうな冷たい水で喉を存分に潤せば、先ほどまでの苦しい登りの汗も途端にスッキリひいてしまう。
左岸に渡り少し登ったところで、何かチョロチョロするものを見つけ、立ち止まれば岩の間から”オコジョ”が顔を覗かせている。37年間の山登りで始めての出合いである。オコジョは保護色のために今の時期はお腹の所は白くそれ以外は茶色の毛で覆われている。冬は真っ白になるかわいい高山の夜行性の動物であり、昼間に姿をあらわすのは本当に珍しくラッキーな出会いとなった。さっそくカメラを構えるとなかなかのひょうきん者らしく、いろいろポ−ズを取ってくれたり、岩に隠れては直ぐに上半身をのけ反るような恰好でポ−ズをつける。どうやら親子3匹での散歩のようだ。思いがけない出合いにすっかり気を良くし、シナノキンバイ、オヤマノエンドウ、ハクサンフウロ、キタダケトリカブトなど次々現れる高山植物を撮りながら、足取りも軽やかに14時15分、馬の背ヒュッテに着く。
管理人の話では、この小屋は昭和62年に建て替えたもので、その後3年前に補修塗装をしたとのこと。丸太仕立てのなかなか立派な小屋である。
16時からのラジオ気象通報を聞きながら、天気図を作成。天気図から台風9号は台湾の東南東約1200Kmのところを北西に毎時15Km/hの速さで進んでいるらしい。ここ4〜5日は影響も無さそうである。太平洋の高気圧もやゝ後退気味であるが、かなり安定していると判断される。
”感じの良い山小屋”との印象も夕飯でがっかり!。糊のような飯にコンビ−フをとかしたような薄い薄いカレ−ライスが控えめにかけてある。水は豊富にあるのだがお茶のお代わりも無し。今までの山小屋では、どう見ても最低のようだ。今夜たまたまであることを願いたい。20時消灯。22時頃より激しい雷雨、遅い夕立のようだ。
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■ 7月30日(火) 晴一時曇り
4時30分起床、5時過ぎのご来光を小屋2階の窓から迎える。甲斐駒が岳をシルエットに映し、真っ赤に染まった朝日の時間は夕焼けの時より短い時間である。あっと言う間の出来事ではあるがやはりこの瞬間は何となく厳かな気分で迎える。
昨夜のうちに配られた朝の弁当を、小屋の食堂でお茶の用意も無いままなにか遠慮しながら食べる。なにか変な気分である。どうもこの小屋の営業方針は営利優先のようだ。
5時20分小屋を出発。すぐ上が森林限界となっており馬の背と呼ばれるなだらかな尾根となるが、このあたりはお花畑となっており、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、クロユリ、ミヤマキンバイ、コイワカガミ、クルマユリ、オトギリソウ、センジュガンビ、モミジカラマツ、ベニバナイチヤクソウ、イワベンケイなどが咲き競っている。仙丈岳へはこの尾根から直ぐに外れ藪沢カ−ルに入る。仙丈岳周辺にはこの他に大仙丈沢カ−ル、小仙丈沢カ−ルがあり、地図でもカ−ル状になった地形がうかがえるが、実際にカ−ルの底にあたるこの付近に立つと、氷河期のなごりが感じとれるようだ。カ−ルの底に建つ仙丈小屋(無人)を横目に、再び尾根に取りつき7時03分仙丈岳頂上3032
.7mに立つ。北岳と鳳凰三山の間からの富士山や、間の岳・農鳥岳、塩見岳など南アルプスの名峰をはじめ、伊那谷の向こうに木曽駒が岳・宝剣岳などを擁した中央アルプスの峰々、その奥に御岳山、少し北西寄りに乗鞍岳、さらに北に穂高・槍が岳から遠くには立山・後立山連峰がかすみがかった遠くの空に確認できる。北から東の方角には八が岳や奥秩父が確認でき、360゜の大パノラマである。すぐ向いには明日登ることとしている甲斐駒が岳が北沢峠を挟んで「いつでも来い」と言わんばかりに堂々と控えている。総じてなだらかなピ−クの多い南アルプスにあって、甲斐駒が岳は荒々しい山肌をむき出しにした山である。これは南アルプスの中でここと鳳凰三山にだけ存在すると言われている花崗岩の特徴が出ているからだろう。
頂上で約1時間休憩の後小仙丈岳へ向かう。快い風を身体に受けながら、起伏のない尾根を快適に進んでいるところに、這い松の間からヒョッコリ雷鳥の親子が現れ、早速モデルになってもらう。付近にはチシマギキョウやヤマオダマキの紫の花びらがひときわ目立ち、夏化粧の雷鳥も「イチモク置き」といったところか。
小仙丈岳からは下りの傾斜も次第にきつくなり、高度をぐんぐん下げてゆく。明日の登りを思うと勿体ないがそれも楽しみのためのアプロ−チと自己納得させ下ってゆく。
10時05分、大滝頭に着き小休止。すでに樹林帯に入ったせいか風はときどき吹いてくる程度、再び持参してきた
"うちわ”の出番。朝の涼しさは何処に!。ピーン、カラカラカラ。ひときわ澄んだこまどりの声が快い。
11時13分、昨日の出発点 北沢峠に到着。今日は仙水小屋に入り明日は甲斐駒が岳だ。峠のバスダイヤを控え、半分達成した実感を味わいながら、仙水峠の手前に立つ仙水小屋に向かう。途中白く透きとおったまるでガラス細工のようなギンリョウソウや、ピンクの色も鮮やかなサワラン、タカネマナデシコ、大きな葉っぱのハリブキ等が迎えてくれる。
13時丁度に仙水小屋に着いたが、昨日の馬の背ヒュッテと対照的にバラック建ての貧粗な感じの山小屋である。(実際は素晴らしく良い印象を与えてくれた山小屋となったが・・・)
小屋の前に引かれた沢水はドクドクとほとばしり、手を10秒も付けていれば冷たくて痛くなり、それ以上は付けておられない。おそらく3〜4℃位だろう。小屋の前に奇妙な光景を見つけたが、すぐにそのアイデアに感心させられる。畳半畳くらいの手製のパラボラアンテナ風の銀ペンの
"おわん" が上向けに設置され、その中心1mほど上部に大きな "やかん"
が鎮座しているものだ。おわんはハンドルで角度調整が出来るようになっている。おわんで反射した太陽光を、やかんの底に集めて熱しようということらしい。パラボラアンテナと同じ理屈だ。あいにく今日は曇りがちで日照が少なかったか、お湯を入れ換えたか生ぬるい温度にしかなっていなかったが、燃料の節約になるのは間違い無さそうである。 さらに部屋に入って感心したのは、狭い部屋を有効に使うための工夫が色々考えられていることだ。ザックは金網の棚に、食堂が無いため食卓は
"そろばん塾の長机”が壁際に折りたたみ形式でセットされている。さらにこの小屋の自慢は、苦労のすえ完成させた
"水力自家発電”だという。たしかにエンジンの音はしていない。ほかに豊富な水を活用し
"トイレは水洗" になっているのには驚いた。昨夜泊まったという先生らしき女性2人が「この小屋はいいですよ。食事も・・・」と言って下っていったことが納得できる。
午後のひとときを小屋備え付けの本で読書。16時からラジオ天気図を作成。少しづつ太平洋の高気圧の勢力が後退している感じだ。「雷3日」というが、今日も一雨降りそうだと思っていたら、案の定夕食時に激しい夕立に見舞われる。
夕食のメニュ−は刺し身、野菜サラダに焼き魚、アサリのすまし他がお膳付きで出てきた。まるで国民宿舎なみには驚いた。昨日のひどいカレ−がなおさらひどく思えてくる。ちょっとこりすぎかもね。
小屋のスタッフは奥さんや子供たちファミリ−で頑張っているらしく、この料理は奥さんの腕前からのもてなしと思えた。本棚の横に沢山のCDが立てかけてあったが、これが食事時にはクラッシックのBGMになる仕組み。娘さんらしき女性がセットしていたから、これはこの娘さんの発案だろう。
昨夜は横で激しくいびきをかかれ、ほとんど眠れずひどい寝不足。今夜はなんとかぐっすり眠りたい。 |
■ 7月31日(水) 晴れたり曇ったり
4時起床、のり、生卵、納豆、みそ汁、焼魚の豪華朝食をいただき、外に飛び出す。朝焼けが小仙丈岳を照らした素晴らしい一日を迎える。
テルモスに熱いお茶をいただき、水筒に小屋の前の冷たい水を詰めて5時小屋を出発。仙水峠迄は登りも緩い。暖気運転でエンジンを温めるようにゆっくりと峠へ。このあたりは黄花シャクナゲの群落地となっている。峠から見上げる摩利支天の岩峰は,ガスの合間に見え隠れしているがなかなか壮観な岩峰である。峠からは気に傾斜もきつくなり、一歩一歩バランスを崩さないよう、小さなステップで高度を稼いでゆく。駒が岳のほうは思ったより高山植物は少なく、ここでも地質の違いが感じられる。コゴメグサ、タカネバラなどをカメラに収めながら登り、7時10分駒津峰着。先ほどから同行している山口から来た登山歴3年目という58才のおじさんにここで荷物をデポし、地図と水筒と雨具、行動食を持参し登ると伝えると仕切りに「なるほど、なるほど そういう事ですか」と仕切りに感心しながら、「色々教えてもらうことが多くて・・・」と。
花の写真を撮れば「自分も」「何という花ですか?」となかなか好奇心旺盛なおひとだ。駒津峰からはやゝやせ尾根となるが空身同然のため何ということはない。おじさんもしきりにナップザックでよかったとつぶやきながら後ろから登ってくる。途中から直登コ−スと初心者向け巻き道コ−スの分岐点があり、直登コ−スに入る。次第に岩は大きくなり、抱え込むように登るところや、腕力で直登するところなど約1時間の登りだがなかなか体力を消耗するコ−スである。
8時20分甲斐駒が岳頂上。昨日の仙丈岳からの眺望とそんなに変化はないが甲斐駒が岳の頂上に立っている感慨はまた違ったものとなって込み上げてくる。
しばしの休憩後巻き道ル−トから下降。駒津峰で双児山から北沢峠に下るというおじさんと別れ、仙水峠の来た道へ下る。計画では双児山から北沢峠を予定していたが、是非仙水小屋の冷たい水を持ちかえり、凍らしてオンザロックを楽しみたいため急きょ変更とした。
疲労もかなりきつくなってきているが、豊かな気分で一気に下降。仙水小屋で水筒とテルモスに水を満杯に詰め、北沢峠に12時50分帰り着く。
帰りは甲府へ出ずに伊那側に出てみることとし、芦安村営バスの帰りの乗車券をキャンセルし、長谷村営戸台口行バスの切符を購入。芦安村営とちがい立ち席なしで2台目増発に乗車。関東より関西のほうが少ないせいか?。なにごともゆったりしている。 こちらの道はアスファルトで整備されており、乗務員のサービスもなかなか良い。窓から見える高山植物や、通過する沢の名前など運転手の丁寧な説明を受けながら下ってゆく。クガイソウ、タカネビラン、アカバナシモツケ、タマアジサイ、ソバナ、ギボウシ、シナノナデシコなどなど・・・。ときどきはバスを止め、窓越しに写真を撮らせてくれたりしサービス満点だ。
13時50分、戸台口手前の仙流荘前でバス2台の全員が下車、自分一人が終点までゆくらしい。乗務員に聞けば「ここからはみんなマイカ−ですよ」との返事に納得。「20分の待ち合わせでJRバスが来ますから」とカンカン照りの戸台口で下ろされる。さすがJRバス、ダイヤはきっちりしている。
約1時間の後JR伊那市駅に着き、飯田線豊橋経由新幹線最終大阪着で帰神の途に。久しぶりに飯田線に乗ったが、2両編成から途中のりかえ、1両編成となり5時間半をかけて豊橋着。うんざりするロ−カル線である。やはり塩尻に出て中央線経由で帰るべきであった。須磨に着いたときは既に0時半を過ぎていた。家に電話し車で迎えを頼み1時前に帰宅した。
心配していた腰も大丈夫であったが、トレ−ニング不足の疲れは予想どおり。 |