二度目の海外登山
名菱会 峯田 照雄
1.はじめに
前回の韓国ハンラ山と同じく、4時に起きて5:00の初電に乗車することが最難
関だった。このために、2、3日前から徐々に生活のリズムを合わせて当日に臨み、まだ駅員もいない駅に着き無事に乗車、東京駅に予定どおり到着し一安心。同じ登山者はいないかと捜したが、いわゆる中高年登山者らしき人5、6人いるも海外登山風(荷物が多く、大きい)はいなかった。東京駅で予定どおり成田空港駅行きの快速に乗り、葛西辺りで朝の街に昇る赤い太陽を見た。成田に予定どおり7時45分着(7時集合)、本社菱風会の太田さんを見つけやっとツアーの仲間入り、ここで商事3人娘(?)とも初対面。予期せず荷物を預ける余裕もあり機上へ。
2.登山編
台湾上陸2泊3日目にして登山口塔塔加鞍部着、暖かく明るく日本の南アルプスの秋と同じ雰囲気の緩やかな登山道を登り始めた。所々壊れた所があるがよく整備された登山道である。予想できず安全をみて着込んできたウールのシャツとズボンが暑い。途中、一枚岩のフェースの下で小休止、フリークライムで記念写真を撮り、登山道修理の工事現場近くので大休止。暑かった道も徐々にガスってきてやがて雨は落ちてきた。しばらくしてやんだ後、再び大粒の雨の中を最後の登りにあえぎながら排雲山荘に無事到着した。ガイドの方に作っていただいた中華風夕食をとって厚い掛け布団に男二人いっしょに包って、緊張のあまり(?)2、3時間しか眠れず久々に長い夜を過ごした。朝食は台湾のいつもどおりおかゆを主食にあっさり済まして、ご来光を見る先発隊と朝はできるだけゆっくり余裕の後発隊に別れて頂上をアタックした。ランプの灯りを足元にゆったりと登り、3600、700あたりから這い松になり森林限界を超えていく。もう富士山と同じ高さなのにだいぶ暖かい。頂上直下でやっと高山らしい冷たい風の洗礼
を受けて、すぐ頂上に到着、全員登頂を果たす。4000mに近いが、難易度では日本の2000m級に似た印象である。連なる3000mの山並みはさすがに谷は深く、どうやって縦走するのか想像がつかない。360度の展望をのんびりと楽しみ記念写真撮影をした後、早々に下山、何事もなく排雲山荘へ。全員登頂記念の写真を撮って、なだらかな道を下っていった。塔塔加鞍部にて小休止して最後の難関、長いアスファルト道路の登り3、40分に耐えてバスの待つ上東浦に着いて1泊2日の登山活動終了。さあ、後は心置きなく観光へ。
3.観光編
嘉義の夜店に現地のガイドさんに連れていってもらったが、とても食べ物を買って食べる勇気がない。どうしても行きたかったCDショップをはしごして台湾音楽事情を探った。台湾の歌謡曲が大部分で、日本を含めて外国系は1/3か1/4くらいしかない。洋楽アーチスト名が漢字に変わっているのでジャケット写真を見ないと誰だかわからない。完全に音(おん)だけでなく、意を含んでいるのでもっと分かり辛い。台湾では国民的歌手と噂の酒井法子は確かに置いてあったが、中島みゆきや今をときめく安室奈美恵のCDとおなじく5タイトル程度しかなかった。娘へのみやげに安室奈美恵の最新版、自分自身のために華原朋美の今では珍しくなったカセットテープを買った。(CDは1200円、CTは800円ともにソニーの純正品、安い)まだレコードを売っていると予想し、できれば貴重な台湾オリジナルジャケットのものを買いたかったが全くなし。
<印象に残ったこと>
日本とよく似ているセブンイレブン、布袋を下げた登校時の小学生、高速道路から見たコンクリート作りの3階建民家住宅、緑の少ない埃っぽい街、誰が購入するのか分からない(生活水準から)連立する工事中の高層マンション、うそか誠か食用狸の看板あり、ハングル文字でなく漢字でわかりやすい看板、接近距離10cmの神業(かみわざ)高速道路バス(カー)チェイス、戦時下の国台湾の象徴か忠列詞の衛兵交代儀式、中国5千年の歴史を学ぶ故宮博物館
4.まとめ
台北最後の夜は、ここまで○菱会山岳部全場所大会を支えてこられた先輩諸氏の過去の栄光の経験談、現在の活動状況を人生の先輩としての含蓄に富んだ話しを聞いた。ヒマラヤ、ネパール、アラスカなど実に多彩な経験談を、なぜこの人が(失礼)と思いながら聞かせていただいた。そして次の第40回記念大会はヨーロッパと盛り上がった。ヒマラヤ、ネパールほど高くはないが、明るいアルペンムードにあこがれているヨーロッパアルプスはぜひ参加したいと思う。
最後に、今大会のため完璧な準備をしていただいた神菱会の皆さん本当にありがとうございました。
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