玉山の感想
三菱商事  秋山かほる


 韓国・漢拏山に太田さんから誘われて、行く気になって楽しみに待っていたら、すっかり忘れられてしまい「行ってきました」との山行報告!が届き、プンプンの私。「今度行くときはちゃんと誘いますから」と言われて5年。昨年4月の『玉山』申込みに即答し、若干名の余裕に立見さんに(彼女は勝又さんに)声を掛けて、商事からは参加3名となり、山靴を10年ぶりに購入し楽しみにしていました。しかし父が大動脈瘤で9月下旬入院、検査が長引き手術が10月末に決まる迄は、残業と病院通いの毎日となり・・・でも、やはり玉山を諦め切れず・・・術後の医師診断にやっと「これなら、いける」と納得できたのは11月13日(つまり)出発の前々日でした。15日は1時半までパッキングに追われ、4時半起床/地下鉄とリムジンバスをタイトに乗り継いで、成田空港に6時半到着。ロビーで東京組メンバーの顔を見た時は、正直言って「長かった玉山ツアーも残す処、後6日間(ムイカ)」と言う感じでした。

 快晴の成田発で、日本地図通りの九州上空を通過し大喜び。台北は、風雨強しの生憎の天候にがっかり。でも関空/長崎組と無事合流できて、早速の市内観光の筈が、最初の「中正記念堂」で早々に迷子になってしまい、誠に申し訳ありませんでした。未だ自己紹介もしていないと言うのに、悪名を轟かせてしまった私でしたが、「秋山さんは何処?」の皆さまからの暖かい監視のお陰で、3日目快晴の朝に、上東埔登山口から歩き始める事ができ、ほっとした途端!バテてしまいました。荷物を分担して貰って、空身となっても全く効果なく、猛烈な眠気に襲われ足一歩を出すのがやっとで、休み休み歩いているうちに、山荘1Km手前で夕立に遭って、一緒に付き添って歩いてくれた7名も、ずぶ濡れにさせてしまう羽目に・・・・・。本当に迷惑をお掛けしました。それでも、到着した山荘での暖かなコーヒーと、ガイドの陳さんの、心の篭った7品もの夕食に励まされ、「自分の登れる処まで登ろう」と勇気を出して、翌朝、4時出発組で山頂を目指しました。6時前登頂。日の出前の強風が周りの山々を掃き清め、やがて旭が、空と私たちをサーモンピンクに染めるご来光の瞬間、突然、太田さんの 「万歳三唱」に、台湾まで来て恥ずかしいーと苦笑しながらも、思わず、釣られて「バンザーイッ」と全員(勿論私も)一緒に叫んでしまいました。此処は正に3952mです。
 そんな頂上での、素晴らしい1時間はアッという間に過ぎ、7時に下山開始。直ぐに5時半出発組11名に会ってびっくり。何と1時間半で登ってきたとの事で、その健脚ぶりは、私達が山荘に戻った10分後に、この組が下山してきて又ビックリ。早々に山荘出発。登りと違って下りはバテもなく...と思った途端!今度は山靴のこばが固く、足首に突き刺さって...。持参した靴擦れ用のフェルトバンや、ガーゼ/包帯も役立たず、最後はテーピング用テープで足首を固定し、靴紐は縛らない突っかけ状態で歩くことになり、全く自分ながら情けない有様の、玉山往復登山となってしまいました。嘉義のホテルで改めて足首を見たら、玉子大の瘤が出来ていて仰天!。靴擦れが無くても、履込みが足らない(日帰り山行3回程度の)山靴を履くものではない事を”痛感”させられました。          

この様に社外参加者でありながら、皆さまのひたすらお荷物になった私ですが、今回のツアー6日間を、「全開状態」で楽しむ事が出来ましたことを深く感謝しております。   これも、全場所大会等で長年培われた、電機山岳部の結束と、用意周到な準備期間での、弛まない努力の現れと思っています。
− 間奏 −
あれから2ケ月が経ちました。玉山ツアーの感想を書く当たって、アルバムを見ながら、色々な場面と、様々な方に助けられた事を思いだし...。頂上での「バンザーイ」の声が ...。やはりあれは、全員登頂の『夢のテッペン』でしたね。



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