仲間と登った想いでの山々

鳥取県 大山

と  き 昭和34年4月30日(木)〜5月2日(土)
コ−ス 神戸=米子=大山寺〜大山元谷〜頂上〜縦走〜剣が峰〜大山滝〜関金=人形峠高清水高原=津山=姫路=神戸
メンバー 秋山さんと二人で
元谷登山道稜線から見る頂上ピーク人形峠から入った高清水高原


行 動 記 録

職場の先輩、秋山さんに「大山に登ろうか」と誘われ、ふたつ返事で同意。はじめての山岳登山にうきうきしながら春の連休を待つ。
■  4月30日(木) 晴れ

国鉄姫路から姫神線に乗り津山を経由し米子に向かう。途中伯耆溝口あたりから見える大山は、伯耆富士と呼ばれるにふさわしい容姿で我々を迎えてくれる。  米子駅から大山行きのバスに乗り直行する。終着大山寺の旅館、みやげもの店の家並を通り過ごし、石段の参道を登り大山寺にて持参してきた昼食をとる。  さらにすこし石段を上がると大神山神社にでる。神社の右裏手から山道にはいり、なだらかな道をしばらく行くと大きな河原にでる。元谷の本流である。今日のテントサイトはこの元谷であり、少し登りながらテント場を探す。樹林のなかの台地状のところを今日のキャンプ地と定め設営。時間もあったのでやヽ上流に位置する元谷避難小屋に来てみたがかなり古くあまり快適そうには見えない。  のんびりとしたひとときを過ごし、夕食の準備にかかる。近くに水場もあり静かな所であるが、時折カタカタカ−ンと乾いた落石音に一瞬緊張する。北壁の自然落石の音のようだ。何度か聞くうちすぐに慣れてしまう。  テントの外では星が輝いている。明日の頂上稜線縦走にそなえ、今夜は早めの就寝とする。

■  5月1日(金) 晴れ

朝食の後テントを撤収し元谷からすぐに別れ、頂上西から北へ延びる急な登り坂に取りつく。途中で一度休憩をはさみ、あえぎながら約1時間の登りで大山寺からの夏道コ−スに合流する。車窓からの眺めは見事であったが、テントを担いでの登りはやはりきつい。  六合目に建つ避難小屋はコンクリ−トで作られており、もしかの時には頼もしいスペ−スになりそうである。  このあたりから見る北壁は、元谷からのものとはまた違った姿が見られ、所々スッパリと切れ落ちた岸壁は、クライマ−にとってはまた魅力のある岩肌なのだろう。  さらに急な登りはつづきながらも、序々に傾斜がゆるむころには頂上も近くなり、後一息と頑張って足を進め、1713mの頂上に立つ。  ここからの縦走路は、今までの道とはまったく様相が異なり、北面、南面の両方がスッパリと切れ落ち、幅20〜30cm程のコ−スである。気持ちをひきしめ慎重にスタ−ト。  いつ踏み外すかわからないようなところを、足元をしっかり見つめて進むため、左右の谷の景色もピントが合わないまま流れてゆき、時々立ち止まって、視界の調節をしないと目と頭がクラクラしてくる。前方から人が来ようものなら1車線の車と同じく、近くの少し幅の広く なったところまで、どちらかがバックしなければ、行き交わすこともできない難コ−スである。頂上稜線上のもうひとつのピ−クである剣ガ峰1731mを早々に通過する。  痩せ尾根はさらにつづき、天狗ガ峰、象が鼻、振子山を経てその名のとおりの親指ピ−クを慎重に越し、野田ガ山にたどり着く。やせ尾根もここまでであり、ホットすると肩のザックの重みがドットこたえる。  行動食をとり大休峠を経て大山滝の眺めと、ほとんど人と会うこともないこの静かなコ−スに満足感を噛みしめながら、三本杉へ下ってゆく。  バスにて関金経由倉吉に出、食料を補給しさらにバスにて国道129号線を南下し、人形峠で下車、高清水高原にて今夜の宿とする。  高清水高原は、若い杉林のなかの静かな高原で、今回の山行のクライマックスには、うってつけの場所である。倉吉で買い入れた大きなビフテキを焼き、たどってきた峰々を思い返し、満足感にひたりながら夕食をとる。

■  5月2日(土) 晴れ

  

人形峠からバスに乗り、奥津の温泉郷を横目に津山に向かい、津山から姫神線経由神戸への帰路につく。

 今回の山行きは、期間としては短いものであったが、自分としては非常に満足のゆく山行となり、今後の山行にかなり影響するであろうことを付け加えておきたい。

 

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