仲間と登った想いでの山々

鳥取 大山


と き昭和37年3月24日(土)〜3月27日(月)
コ−ス
神戸=米子=大山寺〜元谷〜6合目まで行き荒天のため引き返す〜大山寺=米子=神戸
メンバー
   (CL)後藤 (SL)菅田、大川、山田、南、笹西、大坪、島倉 行 動 記 録

我が三菱電機・神戸 神菱会登山部(後に山岳部と改称)再発足以来初めての県外登山でもあり、ま た、メンバ−の気心も技量もわからぬ混成部隊が、お粗末な装備で雪の山に入り一晩の吹雪でほうほう のていで逃げ帰ったという部の創成期らしいお粗末な山行記録でもある。

>■ 3月24日(土) 曇り

各自朝から山行きの格好で出勤。定時後清和荘で夕食を済ませ大阪へ向かう。大阪23時10分発 準急"伯耆"に乗り込み山陰線回りで米子へ。中央線と違い全員ゆったりと座れる。列車の中で我々 8人、いや扇の山に向かう秋山氏を含め9人分の特大ザックはさすがに車中の目を引く。

■ 3月25日(日) 晴れのち曇り

7時前に米子に着き、30分程の待ち時間でバスに乗車、かなり古手のガタガタバスの中では、口に 運ぶのに苦労しながらもなんとか朝食を済ませる。大山寺部落に近づくにつれて雪景色が朝日に映えて 素晴らしい。雪に埋まり急斜面になってしまった大山神社の石段を苦労しながら登り、ラッセル跡に沿 って一時間、元谷に出る。砂防ダムを巻き元谷小屋を上に見る林の中をベ−スキャンプ地とし、夏山用 テント2張を設営。周囲に雪でブロックを積み10時15分完了。  紅茶でド−ナツとゴツイソ−セ−ジ1本を放り込み、偵察とグリセ−ドの練習に出発。予定より出発 が1時間遅れたことや、元谷上の屏風岩の辺りは雪崩の危険性もあり、また、新雪でグリセ−ドが不可 能であることなどを考え予定を変更し稜線へ向かう。上の方までラッセルは続いており、楽に六合目の 避難小屋に着く。さらに足をのばし山頂へと向かうが森林限界あたりから風がかなり強く、また、アイ ゼンのないのが半数もいるので、リ−ダ−の判断で引き返すこととした。  BCに帰った後は、水場探しに沢筋のあちこちを掘り返すが、深い雪のため何処にも発見できず、や むをえず雪をとかして水作りを始める。この間一瞬陽が差し、このためモデル、カメラマン入り乱れて の撮影会となる。  薄暗くなり、寒さも増す頃各テント別に夕食作りをする。春とはいっても山はさすがに寒い。(それ とも風とうしの良い夏テンだからか・・・)星が輝きはじめ、このぶんでは晴れるぞと皆楽しみにして 眠りに着いたのだが・・・。

■ 3月26日(木) 雪のち曇り

夜半より激しい吹雪となる。テントの中で聞くほど風は強くはないらしいが、お粗末なテンは風にあ おられて吹き飛ばされそうだ。風が大きく息を吹く毎に眠い手で懸命にポ−ルを支える。風は朝になっ ても一向にやまず、テント1張は入口のチャックが破損し、まともに風を受けテントの中はワイワイ大 騒ぎだ。このぶんでは稜線へでるのは無理と判断し、頂上行きを断念、パン等の寄せ集めの昼食兼用朝 食を済ませテントを撤収する。ところが昨夜の不始末がたたり、テントの外に置いた品物は一晩の雪で すっかりかくれ、どこに何があるのかさっぱりわからない。仕方がないから大体のところを見当をつけ て「ここ掘れワンワン」とやりだすと、コッヘル、食器、ナタ等いろんな物が次々に出てくるといった 有様である。それでもなんとか撤収を終え14時"また来る時には笑っておくれ"とキャンプサイトを 後にした。  大山寺部落へつくなり、昨夜うどんを食べる夢を見たという大川さんは、早速うどんやへ飛び込む。  我々若手は、バスの時間待ちにと1時間ほど値切った貸スキ−で楽しんだ。18時15分のバスに乗 ったが途中故障し、米子に着いたのは20時15分だった。  22時28分米子発福知山線経由で帰路につく。(部報 "神稜"後藤邦彦氏の山行報告より引用)

■ 3月27日(金) 曇り

5時49分宝塚着。阪急電車に乗換え帰宅。朝飯をほり込み駆け足で出勤。

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