仲間と登った想いでの山々

氷の山 流れ尾スキー登攀

と き昭和39年2月14日(金)〜2月18日(火)
コ−ス
神戸=八鹿=大久保〜流れ尾〜氷の山頂上ビバーク〜二の丸ビバーク=引き返し〜丹戸=八鹿=神戸
メンバー  弘田、南、菅田
行 動 記 録

2月14日(金) 曇り
 山岳部2月例会として組まれたスキ−参加隊と共に総勢12名で定時後に姫路・播但線経由八鹿に行き八鹿から臨時バスに乗り込み熊次に入り夜道をスキ−担いで大久保の宿"万両"に着いたのは0時35分。夜中と言うのに何時も気持ち良く迎えてくれる、おじいちゃんはじめおばちゃんの顔を見てホッとする。

2月15日(土) 曇り
 今日は計画では東尾根から氷の山越え戸倉へのコ−スと、大段ナルのコ−スが予定されていたが、天候がかんばしくないため、計画は明日に変更し、今日は"万両"をベ−スハウスとして終日鉢伏高原にてスキ−練習に専念することとなる。

2月16日(日) 快晴のち吹雪
 今日の計画は戸倉越えするパ−ティ7名に同行し氷の山頂上で待機する秋山氏と、我々3名(弘田、菅田、南)流れ尾隊は頂上で合流し、翌日大段ナルコ−スを下ることとし7時に出発する。
 南、弘田は大久保からの下りの道路が格好の傾斜であり、ここを滑るのが面白く福定口をうっかり通り過ぎ、奈良尾まで下ってしまったことにしばらくして気がつき。わてて引き返し福定で菅田と合流すし流れ尾コ−スへ向かう。雲一点ない快晴のなか大谷小屋を通過するころには厚着をしていたせいで汗をかく。東尾根パ−ティは調子がよいらしく、東尾根の登りのかかっている。我々のほうは3人ともコンディションが余りよくなく、最初からバテ気味である。秋山氏と12時半頃に会う約束はここの登りはじめにして無理と思われてきた。
 予期していたより雪が多く段々畑を通過するのに非常に時間がかかり、やっと流れ尾の末端に取りついたころには出発してからなんと3時間あまりもかかっていたのである。行く手を見れば下半分は木の1本も生えていない非常に急な雪の斜面であり、その上部は急斜面のブッシュの連続の様相である。振り返れば鉢伏高原のゲレンデと鉢伏山のピ−クが美しく我々の心を癒してくれる。
 天候もよく気温も上昇してきた分、雪崩に気を配りながら、そりに付けたシ−ルを効かせながら慎重にジグザグに登ってゆく。フ−フ−言いながら急な雪面を登り詰め、雑木林に突入する。しばらくはスキ−を履いたまま、横向きに一段一段ステップ状に登ってゆくが、ますます斜面はきつく、木の隙間も狭くなり、スキ−を履いたままでは進めなくなったため輪かんに履き替える。
 上部に行くにしたがい尾根は狭く痩せてくるうえ傾斜は一向に緩くはならない。外したスキ−も担いでは登れず3人の先頭の前に3人分のスキ−を突き刺し、そこまで上がりまたスキ−を先頭位置までリレ−するという動作を繰り返し、悪戦苦闘のすえ、12時10分に第一ピ−クに着くが余りにも時間がかかり過ぎており、解説書に腹を立ててみるが仕方がない。今日中に登れたら良いとしてここで万両のおばちゃんの作ってくれた昼弁当の焼き飯を腹に入れる。実にうまい。
 依然として衰えない急斜面を、輪かんを履いていても膝まで潜りながらブッシュに泣かされながら交代でラッセルをしながら登ってゆく。天候は上部のほうからガスがかかりはじめ、我々が進むあたりもやがてガスに覆われる。どうやら天候はかなりの速さで悪くなってきたようだ。3人共今日中に登りきるのは無理と判断し、ビバ−クサイトとして良い場所を探しながら進む。泣かされたブッシュも次第に少なくなってくるころ、一瞬ガスが切れ合間から大きな雪壁が見え、おそらく頂上近くだろうと気を取り戻して頑張る。しかし、この雪壁がまたきびしく、いままで苦しめられてきたブッシュを今度は堀り探して、ブッシュをたぐりよせながらの苦戦がつづく。
 やっとの思いで登りきったあたりは広々とした雪原であるが、すでに陽は沈み暗くなりかけている。人の気配にコ−ルをかけ現在位置を確認すると、やはり頂上近くの小千本杉辺りであった。出会ったパ−ティは仲間の一人が足を怪我し、これから東尾根経由大久保迄下ろすとのこと。我々は先行隊の秋山氏と合流しなければならず、陽も落ちて暗くなったガスと風雪の中をしばらくコ−ルをしながら探すが手掛かりはない。頂上付近で我々を待ってくれているのだろうか。もしかすれば荒天となった為、そのまま戸倉越え隊と一緒に行動し、下山してくれているのだろうか。心配だがこれ以上我々も動くわけにはいかない。ここは少しでも安全な場所でビバ−クするより他にないと判断し、東尾根の千本杉まで下降し、一夜を明かすこととする。計画では頂上で東尾根経由、戸倉へ越えるツア−組と合流し、奥戸倉小屋まで滑り、秋山、南、菅田の3名は頂上に引き返してビバ−クし、明日大段ナルを下る予定であったため、今夜の野宿は予定の行動である。しかし、予定とはいえテント、寝袋などは持参なしの行動であり、ツエルト(簡易テント)をかぶり昼弁当の残りでささやかな夕食とする。雪を解かしてつくった熱いお茶がうまい。コンロやロ−ソクで暖をとるが消すと途端に寒くなる。明日の天候の回復を願い11時半就寝。身体を寄せ合って横になるが熟睡はできなっかた。

2月17日(月) 吹雪
 長かったビバ−クの一夜も少しずつ白んでくる。今日も吹雪は弱まっていない。簡単な朝食を済ませしばらく待機するが天候は回復の望みもない。秋山氏の消息も心配になるため8時45分ガスの中を頂上へ向かう。もしかしたらと途中にある神大ヒュッテに立ち寄るが閉まっている。
 頂上のロボット(気象観測送信用百葉箱)も、すぐ目の前にきてから見つけられるくらい視界は悪く難儀する。頂上に建つ尼工ヒュッテを覗くが誰もいない。あとは奥戸倉の小屋かすでに昨日のうちに戸倉へ下山しているかであろうと、戸倉へ向け進むこととする。まったく視界がきかない中、地図と磁石を頼りに方向を探り、広い頂上付近の雪原をやっとの思いで脱出し、二の丸への尾根に取りついた時にはもうこれで安心、あとは道標伝いに進めばと、はやる気持ちを押さえながら幾つかのピ−クを越え、二の丸らしきピ−クに立ったものの、きびしい吹雪と濃いガスに確信は持てない。今滑ってきた我々のシュプ−ルもたちまち埋もれてしまい、数メ−トルも離れれば仲間の姿も見えなくなる。二の丸の道標も雪にうずもれてしまっていると判断し、解説書の記述にしたがって南東の方向に磁石を頼りにガスのベ−ルに突き進んでゆく。広い雪原は、やがて森林限界になり、戸倉へのコ−スの道標を探すがなかなか見つからない。しばらく森林限界点で奥戸倉小屋が有るはずのコ−ス入口を探すが見つからず、どうやらコ−スを間違えているようだと思わざるをえなくなる。12時、あせりの気持ちを冷静に押さえ、とにかくもう一度尾根まで登ることとし、引き返しはじめるが、一向に確かな現在位置がつかめない。
 あまり動きすぎて深入りし遭難でもすれば大変。とりあえず我々が二の丸と信じてきた地点まで引き返そうと、ふたたび二の丸のピ−ク探しとなる。
 13時40分、道標No.5が見つかりもう一度解説書を開き確認する。ここは二の丸のピ−クのすぐ近くであり、杉林へ入るとすぐにNo.8,9が現れるとあり、我々はその道標を必死に探したが見つけることが出来なかった。天候はますます悪くなりこれ以上行動をつづけることは危険であると判断し、道標No.5地点で2泊目のビバ−クと決し、15時30分ツエルトにもぐり込む。
 今後の行動を検討した結果、明日は戸倉へのコ−スは見つけられないとし、氷の山頂上へ引き返し、東尾根から福定へ下ることとし、食料のチェックをする。クラッカ−3袋、粉末しるこ3袋、イタリアント−スト1袋、フランスパン2個、バタ−1パックであった。これを2日(5食)分に分け今後の行動にそなえる。また、燃料はコンロ用ガソリンが1リットル、ロ−ソクは1本が残っており始末して使うこととする。
 寒さと空腹のため、あまり喋ることもひかえようとするが、つい食い物の話題になってしまう。遭難という状態ではないが、このままずるずる閉じ込められてしまえばどうなるのだろう。家や会社では心配しはじめていることだろうなどを話しているうち、明日は何としてでも脱出する決意の様な気持ちを確かめ合い、膝をかかえて一夜を過ごす。ツエルトの中は結露が激しく、コンロやロ−ソクの暖房を切ればたちまちナイロン地がバリバリに凍ってしまい、コンロをつけると今度はベトベトに衣服も濡らしてしまう始末。

2月18日(火) 吹雪
 長い長い一夜があける。少ない食料をとりだし、インスタントしるこで朝食とする。熱くて甘い飲み物となるとさすがにうまい。とても空腹を満たせるだけの量もないがやむをえない。7時40分ツエルトをたたみ飛び出す。風雪は強いが昨日よりは少しましのようだ。昨日決定したとおり今日は戸倉越えはあきらめて、東尾根を下山すべく氷の山への引き返しコ−スに向け出発する。外に出ると上から下まで濡れたものが、5分とたたないうちに凍り、オ−バ−手袋も真っ直ぐカチンカチンになってしまい、ストックもまともに握れない。カチカチだったスキ靴兼用の革靴も体温で次第に柔らかくなると今度は足が中でだぶつきはじめ、抜けそうになりながら、道標を必死に探しつつ頂上にたつ。ホット一息入れ東尾根に向かう。疲れているため余りスピ−ドをだすこともできず、シ−ルをつけたまま滑りだすがブレ−キになりすぎてやはり駄目。かえって疲れるので千本杉を過ぎたところでシ−ルをはずし、キックタ−ンで下りだす。東尾根は何度も登ったが下るのは初めてという弘田のつぶやきを聞きながら急な切面をコ−スをきにしながら下降する。やがて道標No.17辺りまで下ったころからガス面切れ間が出始め、なんとか福定への降り口の道標No.33にたどり着く。
 ここまで来ればもう安心とばかりに、残っていた食料をたいらげ、段々畑をかけおりる。3人共張り詰めていた気持ちが解け一度に疲れが出て、福定部落に着いたときはふらふらだった。
 "万両"へ2回電話をしたが通じなく、会社と家に電報を打ってバスに飛び乗りホッとする。
今回の山行につき、勤労課、職場上長、山岳部長はじめ幹事部員には大変ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。

時 間 記 録
2月14日(金)
 18:20 国鉄兵庫駅発 22:06 八鹿駅着 23:05 臨時バス乗車 24:00 熊次車庫 0:35HYH万両着

2月15日(土)
 終日鉢伏高原周辺にてスキ−練習

2月16日(日)
 7:00万両 7:10福定 8:30大谷ヒュッテ跡下 10:10 〜10:50 流れ尾尾根末端12:10 〜13:10 第一ピ−ク  17:25 小千本杉 18:15 千本杉ビバ−ク地点 19:00 ツエルト内に入る

2月17日(月)
 8:45千本杉ビバ−ク地点発 9:00神大ヒュッテ 9:40氷の山頂上 13:40 道標No.5地点  15:00 ここで2日目のビバ−クを決定

2月18日(火)
 7:40道標No.5ビバ−ク地点発 8:40氷の山頂上 9:00〜9:30千本杉下道標No.23地点  11:30 東尾根降り口 13:50 福定部落 15:00 バス乗車

シリーズ目次に戻る
ホームページに戻る