仲間と登った想いでの山々

北アルプス双六岳・三俣蓮華岳


と き昭和39年8月21日(金)〜8月25日(火)
コ−ス
神戸=高山=新穂高温泉〜蒲田川右俣〜大のま乗越〜双六小屋〜三俣蓮華岳〜伊藤新道〜湯俣〜七倉=大町=神戸
メンバー菅田他1名

これも古い古い写真です


大のま乗越が見え始めてからの登りがきつい。適当に休憩をとりながら登るが夜行列車の疲れもあり足取りも重い。 大のま乗越に着く。ここから双六小屋までは、地図によればほとんど水平の巻き道となる。あせらずゆっくりと行こう。
大のま乗越にて



下山コースのなかで、湯俣と七倉の間の不動沢が合流するところには このような”不動の滝”があったが、後に東京電力がつくった「高瀬ダム」の建設により埋まってしまい今はない。
今は高瀬ダムの中に沈んだ不動の滝



下山コース最後の山小屋「濁小屋」で大休止。ここから七倉に出て、 バスで大町に下山し今回の山行きを終える。
濁小屋にて大休止


行 動 記 録

■ 8月21日(金) 晴れ

夏山合宿も終え、夏山シ−ズンもそろそろ終わりとなる頃に急きょ個人山行を計画、夜行列車にて出発。さすがこの頃ともなると登山客も少ない。何とか座席を確保し、少しでも睡眠を取ろうと努力するが、いつものことながらなかなか眠れない。

■ 8月22日(土) 晴れ

高山駅で下車、新穂高温泉行きのバスに乗り、約3時間揺られて終着新穂高温泉に着く。登山届け所で持参してきた登山計画書を提出し、蒲田川左俣谷に足を進める。わさび平までは静かな林道の森林浴コ−スである。わさび平にある左俣小屋を過ぎ、小池新道に入り、蒲田川から少しづつ離れてゆくあたりから、大きな樹林は離れ、途端にカンカン照りの陽射しの洗礼を全身に受けることとなる。  夜行列車とバスに揺られた後のこの環境には直ぐには順応できず、非常にきびしいスタ−トとなる。しばらくは水もない広い川原を少しづつ高度を上げながら進むが目まいがしそうである。小西さんもこの暑さには相当こたえているらしく、ただ足元を見ながら黙々と、しかし遅れもせずに後をしっかりついてくる。  1時間程進み、小さな沢の水場にさしかかり休憩とする。正面に大ノマ乗越が望め、振り返れば西穂高岳の稜線も見えはじめる。  持参した行動食のパンとジュ−スを口にするがバテ気味の身体には適した食べ物では無さそう。口当たりの良いものではなく喉に通りにくい。隣で休憩しているパ−ティがきゅうりにマヨネ−ズをつけてかぶりだした。「その手があったか・・・・」実にうまそうである。  余り長い休憩は余計に疲れるため、再び上を目指して登りはじめる。大ノマ谷につけられたこの小池新道は、双六小屋の経営者小池義清氏の努力によって完成したものとのことであるが、双六岳への最短コ−スとして多く利用されている。  次第に傾斜も増して疲れた身体には辛い登りがつづく。おそらく今回の山行きのなかでも最も辛い所であろう。フ−フ−あえぎながらシナノキンバイやニヤマキンポウゲなど高山植物の乱れ咲く最後のジグザグ道を登りつめ大ノマ乗越に着く。  向の谷は眼下に深く切れ落ちた双六谷源流が蛇行し、正面に大きく双六岳が姿を見せ、左の稜線は笠が岳へつづき、右は弓折岳へ稜線をつなげている。我々はこの稜線の縦走路を横切る形となる小池新道をそのまま進む。双六谷側に回り込み、弓折岳より張り出しているいくつかの尾根の中腹を捲いて、ほぼ水平の道をゆく。先程までのきびしい道のりとは打って変わったようなのどかな山道で、ときおりコマドリが「ピ−ンカラカラカラカラ・・・・」と自慢の声を披露しながら迎えてくれる。  しばらく進むと眼前がひらけ、樅沢岳と双六岳の鞍部が正面に見えてくる。このあたりからはお花畑も点在しはじめ、クロユリ、イワカガミ、ミヤマオダマキ他、名の知らない幾種類もの可憐な高山植物が、色とりどりの美しい花を咲かせてお花畑を展開しており、やがて池畔にクロユリの咲く双六池に着く。今日の宿となる双六小屋はこのすぐ先にある。  小屋に着き泊まりの申込みを済ませ、落ちついたのち缶ビ−ルを買い喉を潤す。うまい!  午後4時からの"NHK気象通報"を聞きながら天気図を作成する。気にしていた台風はコ−スを変えることなく、やはり西日本上陸の可能性をもったまま北東に進んでいる様子。今後の天気予報に注意してゆかねば・・・・・。

■ 8月23日(日) 晴れ

台風接近中とはいえ、1、2日は大丈夫と判断し、今日は予定どおり三俣蓮華岳へ登ったのち、伊藤新道から湯俣に下るべく一夜のお世話になった双六小屋をあとにする。ここからは双六岳への稜線コ−スとは別れ、左に捲くようにつけられた水平道のコ−スをとる。三俣蓮華岳へはあまり大きな起伏もなく、パノラマコ−スと言われる快適な山腹を進むことになる。途中、チョロチョロ流れる水場もあり、適当に汗を流しながら夏山の感触を満喫し三俣蓮華岳へ向かう。  三叉蓮華岳は、このあたりの色々なコ−スのクロスポイントとでもあり、立山方面から縦走してくるパ−ティ、烏帽子方面からのパ−ティもここを通過することになる。  晴天ではないが視界はよく眺望は素晴らしい。南東に槍・穂高の峰々、東に燕岳からの表銀座コ−スの稜線、北東に白馬岳方面、北西に薬師・立山・剣岳の峰々が重畳と連なり、北アルプスのほゞ中心位置にふさわしい眺めである。  三叉蓮華岳の眺望を楽しんだのち、湯俣川右岸につけられた伊藤新道に入る。最初のうちは鷲羽岳の南斜面をトラバ−スしながら進むが、やがて赤沢出合いまでは急な樹林帯のなかを下ることになる。赤沢出合いからは、左岸へ渡り谷底に近いル−トとなる。増水時、特に鉄砲水には十分気をつけねばならないコ−スと言われている。赤茶けて赤岳・硫黄岳の山肌が威容な感じで迫ってきており、やゝ緊張した下降がつづく。湯俣までに5か所の吊り橋がかけられており、下から第一、第二・・・  第五の番号で呼ばれている。まず第五の吊り橋を渡る。ワイヤ−で吊ってあるが踏み板は幅30cm足らずの狭いもので、定員は一人、先の人が渡りきらなければ次の人は渡ってはいけないことになっている。かなりゆられながら渡り再び右岸へ。ほとんど谷底にちかいコ−スをしばらく進むと第四の吊り橋に着く。やや川原の広くなった所を、ペンキやケルンに導かれながら進む。唐谷の出合いを過ぎるとすぐに左岸が悪場となり、この悪場を避けるように第三の吊り橋が懸かっている。  吊り橋がなければ苦労すると思われるところを対岸に渡り、再び右岸をゆくがすぐに岩壁にさえぎられるようになり第二の吊り橋となる。このあたりは、両岸とも岸壁になっており、苦労してつけられたと思われるようなル−トを慎重に通過してゆく。衝立岩とよばれるひときわそそり立つ岩を対岸に眺めながら最後の第一の吊り橋を通過し、やや広くなった川底をたどるようになる。  湯俣手前の河原は、数カ所から温泉の湯気を吹き出している天然記念物"噴湯丘"がある。噴湯丘は硫黄が高さ60〜70┰程に盛り上がり、三角錐に堆積してできたもの。  ここにある湯俣山荘が今夜の山小屋である。せっかく温泉が沸く所であるが、入浴できるようにはなっていないのが残念。宿泊の受付を済ませひと休みの後、自炊の準備にとりかかる。野菜炒めとラ−メン、少々腹がへりすぎて食欲がいまいち。

■ 8月24日(月) 晴れ

 心配していた台風もこのあたりは殆ど影響もなく西寄りのコ−スを通過した模様にホットする。湯俣からは高瀬川の右岸をひたすら平坦な樹林帯の山道を黙々と下ることになる。人も少なく、時折山道の真ん中にドッシリと居すわった大きなカエルをおもわず踏みつけそうになることもしばしば、山靴の先でつついてやると、手足を伸ばせば30┰くらいもある身体をノッシノッシと移動させ、笹の中に消えてゆく。まったく危険を感じていない様子にあきれてしまう。  汗をかきかき進むこと約2時間30分で、不動の滝がある不動沢出合いに着く。水量豊富な不動滝が眺められ、身体にひとときのくつろぎを感じさせてくれる。残念ながらこのあたりも電源開発のダム計画が進められており、ダムが完成すれば、この不動の滝もダムの底に沈んでしまう運命にあることを思うと、寂しさがこみ上げてくる。一度壊すと取り戻せない自然の恵みを取り壊してまで文明の必要性が本当にあるのだろうかと複雑な気持ちになってくる。  あとひとがんばりと、汗のひいた身体に言い聞かせるように、七倉へ向かう。約2時間で七倉に到着し、バスに乗り込み大町へ。  松本から夜行列車に乗り帰神の途につく。

■ 8月25日(火) 晴れ

早朝大阪着。一昨日の台風のコ−スが西寄りだったため関西方面はかなりきつかったかも知れないと思い、彼女を家まで送り帰宅する。

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