仲間と登った想い出の山々

昭和40年春山合宿 北アルプス五竜岳


と き昭和40年4月30日(金)〜5月5日(水)
コ−ス
神戸=神城〜遠見尾根〜五竜岳往復〜神城=神戸
メンバー(CL)弘田(SL)菅田、西尾、藤原、大塩、津川、大学、木村、渡辺、山東、小西、貝賀

行 動 記 録

■ 4月30日(金) 晴れ

定時後ばたばたと出発、大阪駅20時10分発"準急ひえい8号"に乗車するが空席はない。名古屋までの辛抱と通路に座り込むスペ−スを確保する。 22時56分、名古屋に着き23時55分発の"準急きそ"に乗り換える。ほぼ100%が山屋の乗客である。松本までのわずかな時間に少しでも睡眠を取っておこうと、皆それぞれのスタイルで眠りの態勢に入る。いつものことながらすんなりとは寝つけない。うとうと、ごそごそしながら結局は通路のにエア−マットを敷いてのごろ寝が一番ときまる。

■ 5月1日(土) 晴れ

4時56分、ひんやりと肌寒い松本駅に着く。殆どの山屋が降りる。温かいコ−ヒ−かうどんが欲しいと思うが、駅はまだ明けていない。我慢して大糸線の始発を待つより仕方なし。 5時26分始発に乗車、カタコト揺られて6時47分にやっと神城に降り着く。2日前に先発し、ふもとでスキ−を楽しんできた弘田、西尾、大塩、大学の4名とここで合流。カンカン照りの中を滑っていたらしく、4名の雪焼けはひどい。なかでも弘田は雪目にやられたらしく、涙目でのお迎えである。駅前の民宿で温かい朝食を済ませ、9時に重いザックをかつぎ出発する。 最初の1ピッチ、30分は平坦なすそ野の道であったが、直ぐに山道に入るや草付きの急な斜面に身体がまだ馴染まない。直ぐに雪の上を歩くようになり、スリップによる体力の消耗も大きいためアイゼンを付けることとする。あえぎながらの登り4時間、13時やっと遠見小屋に着く。視界は開け五竜、唐松岳の雪稜が素晴らしい。しかしここはまだ標高1600mの支稜にたどり着いたにしかならない。先はまだまだ遠い。30分の大休止の後雪深い遠見尾根を小遠見に向け出発する。 陽射しがきつく、サングラスをつけていないと目をやられてしまうと判断し、ゴ−グルを付ける。14時50分、小遠見手前のピ−クをステップキャンプ地とし、今日はここで設営とする。

■ 5月2日(日) 晴れ

天候は安定しているようだ。今日はベ−スキャンプ予定地の大遠見山地点までテントを進めることとし、朝食後昨日張ったテント2張を撤収する。 長い遠見尾根も小遠見山までくると、左右に視界が開け後立山連峰の稜線を見ながらの前進となる。特に、鹿島槍が岳から切れ落ちるカクネ里の様相は圧巻である。ビッシリついた雪の斜面のなかにあって、ひときわ目立つ黒い岩肌をさらけ出しているのが、蝶型岸壁と呼ばれる所であることはすぐにわかる。急峻な沢筋にはあちこちに雪崩のあとが見受けられ、カクネ里の谷底には、夏になってもとけきることもないだけの雪を積み上げている。 よくみると、鹿島槍が頂上からすこし天狗尾根に下った尾根からピンクの粉を流した跡がかくにんできる。おそらく冬山で滑落事故をおこしたパ−ティが滑落コ−スを確認する捜索のために、流したものだろう。カクネ里に滑落したなら、なかなか大変だろう。 昼前に大遠見のベ−スキャンプ地に到着、設営する。午後から五竜偵察組と、テントサイト横に雪洞を作成するグル−プに分かれて行動。弘田、菅田、大塩の3名で白岳まで偵察に向かう。今回の行動計画のひとつに、五竜岳第二尾根(G2)の登攀も含まれているので、西遠見山あたりから東面の偵察を行ったが、雪が多くなかなか手こずりそうなル−トのようだ。天候にも左右されそうなので、明日からの天候の推移をみてから判断することとし引き返す。 ベ−スキャンプ地では、立派な雪洞ができあがっていた。今夜は誰がこの中で眠るのやらと思っていたが、若手部員の体験宿泊となる。

■ 5月3日(月) 曇りのち猛吹雪

昨日までの好天から、変化が現れはじめ、今日は朝からガスがかかり雲の流れも何となく不機嫌そうだ。昨日作成した天気図やラジオの天気予報から、今日は停滞と前日のうちに決めていたが、若手部員の強い希望もあって、西尾をリ−ダ−とた白岳への行動隊を出すこととなった。あくまで行動可能範囲までと限定した指示とし、6名が一応の行動装備を持ちテントを出る。以下はこのパ−ティがひどい目にあうこととなった2日間の行動記録を、メンバ−の一人である渡辺の記録から綴ってみよう。 血気盛んな若手部員の申し出に、"引き返し可能地点まで"という条件で白岳方面への行動が許可され、西尾氏のリ−ダ−で7時25分テントを出発する。8時30分、白岳手前のピ−クでベ−スキャンプとの交信のため小休止。風が少し強くなったようで、アイゼンをつけているけれど、足元がやゝ不安定だ。天候がこれ以上悪化すれば引き返すようBCより指示が出る。(ここで引き返すべきところであったと思われる) ゴ−グルは吹雪と汗のため曇って先が見えない。ゴ−グルを取る。しかし、この風ではゴ−グル無しでは行動不可能だ。付着した氷を拭き取りかけるがすぐ曇ってくる。しかし外すのは面倒だ。遅れないよう間隔を狭めてついてゆく。 8時50分、白岳直下で小休止。もうすぐ白岳頂上だ! 風もますます強くなってゆくばかり。五竜岳には行けそうにはない。トレ−スも吹き飛ばされ赤旗だけが頼りだ。TOPにコ−ルしても届かないようだ。BCの残留組も心配しているだろう。 9時、白岳頂上に着く。物凄い風に少し恐怖を感じる。こんな強風は初めてだ。幸い風除けのブロックが積んであるので避難する。視界は7〜8m位だろうか。いやそれ以下かもしれない。近いはずの五竜小屋も全然見えない。一息入れ小屋へと稜線に出るが、普通の姿勢では歩くこともできない。 ピッケル、アイゼンで自己確保し、地面を這うようにして進む。でも地面と身体との間の風が、テコの働きをし、吹き飛ばされそうだ。危険を感じ頂上のブロックに再び避難する。 雪洞によるビバ−クの必要に迫られ、BCとこの旨交信する。「引き返すことが出来ないなら、もう少し頑張り、小屋を探して極力雪洞のビバ−クは避けるよう」指示ある。各自の技量に相当差がある故、ばらばらになるおそれがあり、アンザイレンして出発する。近いはずの小屋がまだ見えない。おかしい、コ−スを間違ったようだ。元に戻り、津川が西尾を確保し、ザイル40mの半径内で小屋を探す。やっと見つけたらしく、大きな声で叫んでいる。 9時35分、無事無人の五竜小屋に避難する。白岳頂上で放浪した30分は、まったく生きた気持ちはしなかった。短時間であったけれど非常に長く感じた。生きるということは非常に厳しく感じる。 小屋は相当広く、我々と同じ目にあった連中が15人くらいいたので場所を確保する。 10時30分、全員一応落着き、BCとの連絡やら食料の点検をする。食料が少ないようだ。この吹雪長く続きそうなので、腹も減っているけれど我慢する。大きな声で食料不足を言っているのを、他のパ−ティが聞き、米1升5合余りをくださる。ありがたい。一人一握りずつおかゆを炊き食べる。風が吹き込んでくるので、ツエルトを被り、しりとり遊びで気を紛らわそうとするが、食べ物ばかりがでて長続きしない。小屋に落ちていた乾パン3袋を拾い焼いて食べる。腹が減っているので、人の捨てたものでもうまい。 15時20分、吹雪はますます強くなり、屋根のトタン板の音がうるさい。身につけていたヤッケ、オ−バ−手袋、オ−バ−シュ−ズ等を乾かす。幸いガソリンが1ガロン強置いてあったので燃料の心配はない。ドイツパン1個を6人全員で食べる。 16時、気象通報の時間だが残念ながらラジオは持参していないため天気図は書けない。他のパ−チィのを傍聴しながら、天気概念をつかむ。四国沖の低気圧が発達しながら東に進み、房総半島沖を通過する模様である。強風は当分続きそうで、時間の過ぎるのが遅く嫌になる。 17時、一握りのおかゆとチ−ズで夕食とする。三角取りなどして時間を費やすがなかなか遅い。この風は小形台風なみの低気圧のためと判る。いわゆる"春の台湾坊主"と言われるものだろう。 19時05分、ホエ−ブスを真ん中に据え、座ったまま、膝を抱き寝ることにする。寒くてすぐ眼が開く。 20時45分、湯を沸かし甘納豆を溶かして飲む。体が温まるとまた一眠りする。 22時35分、例のおかゆを食べ、天井から板を下ろし下に敷き、本格的に寝る準備をする。ツエルトを二重にし、ヤッケ等を入れてもぐりこむ。風は相変わらず強い。

■ 5月4日(火) 吹雪

5時起床、昨夜と変わらず風は強い。ラジオによると昼から回復の見込みだそうだ。交信によればBCも相当やられている様子だ。天候が良くなり次第サポ−トに来てくれるそうだ。心強い。長い夜だったけれど無事過ごせた。 7時、ラジオニュ−スでは数々の遭難事故を伝えている。我々には関係無いけれど、小屋がなかったならどうなっていただろうか?・・・・・・各家では心配しているだろうと案ずる。ツエルトをたたみドイツパン1個とおかゆで朝食をとる。 9時、風は相変わらず強い。たたんだツエルトを再び広げ、寝ることにする。気持ち良くいびきをかいているヤツもいるけれど、寒くて眠れそうにもない。 11時15分、食料は残り少ないが、今日中にはどうにかBCに下れる様子なので十分食べる。 12時20分、風雪も徐々に弱くなりつつあるので、西尾、木村、津川の3名が様子を見に小屋を出る。交信によるとサポ−ト隊が出発する様子なので完全装備をして御竜小屋に別れを告げ出発。 12時35分、白岳頂上。視界40mくらいだろうか? 先の赤旗がどうやら見える程度である。急斜面であるので、スリップ防止のためザイルを出し、津川、山東、渡辺、藤原、木村、西尾の順で下ってゆく。6ピッチ稼いだところでサポ−ト隊のコ−ルを聞く。 13時25分、サポ−トの弘田、菅田、大塩と合流。14時45分BC着。昨日の吹雪でキャンプサイトも新雪が1m余り積もってテントも大分埋まっている。前の雪洞もすっかり埋まり、入口の標識の竹棒が少し出ている程度であった。 (この項渡辺の記録より) この間のベ−スキャンプの行動としては、次のようなものであった。 好天に恵まれ2日がかりで入山してきてBCを設営し、さあこれから、という朝の出鼻をくじかれた感じに、若手部員もむずむずしており、チ−フリ−ダ、サブリ−ダで検討し、「白岳方面の行動可能地点まで」という条件で、西尾をリ−ダとした6名の行動隊を出すこととした。30分間隔の交信に初めは意気揚々の感じであったが、白岳手前あたりから徐々に天候が悪くなってきた様子を伝えてくる。 くれぐれも無理せず、引き返すよう指示を出しながら見守る。 9時過ぎ、突然「猛烈な吹雪で動けなくなった。五竜の小屋も見つからない。ここで雪洞を掘って待機する」との交信が飛び込んでくる。「しまった!」と一瞬身震いが走ったが気を落ち着かせ「小屋は近い。なんとかもう少し頑張って小屋を見つけろ!」と指示を出したものの、不安が走る。急いで弘田、菅田、大塩の3名はバタバタと身支度をし、テントを飛び出し白岳へ向かう。吹雪の時の雪洞はたしかに有効である。がそれはあくまで十分な設営が出来たならばのことであって、彼らにはスコップもない、6人分もの大きな雪洞は簡単に作れるものではない。バラバラに掘ると、行動もバラバラになってしまう恐れもあると判断し、なんとかすぐそばにある小屋を見つけてもらいたい。祈る思いを抱きながら、強い口調で指示をしていた。 やがて、「小屋発見!」の受信に思わず「ヤッタ!」と往信していた。ひとまず安心し、BCに引き返す。 BCでも、この夜は季節外れの強烈な吹雪に、テントは吹き飛ばされんばかりに羽ばたき、引きちぎれるのではないかと心配しながら、寝袋にもぐる。積雪でテントがだんだん押し狭められ、身体が窮屈になる。中から寝袋に入ったままの足でテントを押し上げ、積もった雪を押し退けては見るものの、すぐに積もって再び狭くなる。そのうち、押し上げる隙間もなくなれば、今度は仕方なくテントから飛び出しての除雪作業となる。サボルとテントは雪に押しつぶされてしまうことになる。 長い夜が明け、外に出てみるとテントは3分の2以上雪に埋もれていた。ガスはこのあたりは薄くなっているが、稜線はガスに包まれている。風もまだ強そうだ。彼らのいる五竜の小屋あたりは、今もおそらくヒュ−ヒュ−うなっていることだろうが雪はもう降ってはいないらしい。 朝食後天候もかなり回復傾向が現れてきたので、彼らをサポ−トすべくBCをでる。他のパ−ティノ交信の中には、「テントを飛ばされた」という者もいる。 13時35分、彼らと合流。14時45分BC帰着。

■ 5月5日(水) 晴れ

4時起床。素晴らしい雲海で明けた最終日、時間的に余裕のあるのも手伝って、弘田リ−ダからもう1パ−ティ白岳経由、五竜岳へのアタックを試みることとなり、リ−ダ菅田、西尾、大塩、津川の4名に指示がでる。5月3日、4日と荒れ狂った台湾坊主の低気圧は、まるで地獄の悪夢であったかの如く、見事に晴れわたり、今朝は富士山まで遠望できる項天気に、4名すっかり気を良くして、ハイピッチにてぐんぐん高度を上げ白岳へ向かう。 白岳の頂上は平らなコブ状のピ−クで、5m四方程度のブロックが腰の高さくらいで崩れてしまっている。やはり台湾坊主の勢力が強かったのがこのあたありにもうかがい知れる。白岳頂上にて小休止ののち五竜岳へ向かう。白岳頂上から五竜の小屋までは、約5分位の下り道であるが、3日の西尾隊がこの下りには強い吹雪と濃いガスのため、相当苦労させられたところである。天候急変の恐ろしさに加え、主稜線ではさえぎるものがなくなるために、条件がより一層過酷になることを知らされたことだろう。 五竜小屋付近は平らな地形になっており、小屋よりゆるい登りになっており、次第にその傾斜は急になってゆく。1時間ピッチで交信の打合せをしていたので、頑張ってA沢のコル迄登る。感度は非常に良好である。我々の交信中、前のパ−テイが聞きつけて近づき、何事かと思えば「実は五竜岳頂上にて2パ−ティが遭難、内2名が頂上にてビバ−クしたが、内1名は凍死、1名は重体で、今その救助に付近のパ−ティが向かっている。協力してほしい」と言う。我々も驚きBCへ周囲のテントの呼びかけの依頼をし、我々としても、できるだけ救助作業に協力する旨BCへ了承を得、頂上へと出発する。今までの快適な気分は一度に消え、何ともいいようのない気持ちに変わる。  行く行く聞いた話によれば、神戸と豊橋の3名ずつのパ−ティで、6名の内1名は昨夜遅く救助され、3名は小屋へ降りる途中スリップし行方不明、2名は頂上でビバ−クしたが、1名はすでに凍死、1名は重体らしいので小屋の管理人を含め、早朝に救助に出かけたものらしい。  やがて頂上のピ−クが前に開け、頂上直下の急斜面を14、5名の救助隊に確保されながら、慎重に下ってくる様子が見えてくる。  7時30分、その救助隊とすれちがう。意識もはっきりしないため、氏名も不明だという。救助員が「頑張れ!もう少しだぞ」と元気付けているのが痛々しい。救助作業は十分なメンバ−で進んでいたので一応お任せし、我々は至急頂上へ向かう。我々より先に頂上に登っていた他のパ−チィの手で装備の堀りだしが完了したところであった。聞くと神戸のパ−テイのは、赤のサブザックとピッケル1本とのこと。すぐにザックを開ける。底のほうより山手帳や健康保険証が見つかり、急いで目を走らせ、BCへ直ちに連絡する。ここにいるメンバ−と装備では、遺体の搬出は無理と判断、搬出は別途隊を組む必要があるとし、今は生存者の搬出、生還作業に集中することとした。  雪面も陽が強くなったため相当緩んでいるし、一昨日の大雪でかなりいやらしい下りの斜面である。やがて救助隊に追いつく。5〜6本のザイルで救出者を確保しながら、険しい岩稜を慎重に下ろしてゆく。救助隊のリ−ダ格の人、及び五竜小屋管理人とも相談した結果、今朝小屋から救助隊及び捜索隊が出てくれる手はずになっているが、重体のこの遭難者を何とか生還させるためにも、一刻も早くヘリコプタ−で運ぶこととなり、我々のBCから遠見小屋経由でヘリの要請をする。  我々アタック隊は遭難者の装備を預かり、状況連絡と共に神城へ下山することとなりBCへ向け下る。  11時40分BC着。BCには弘田リ−ダと木村の2名が残り、あとは11時に下山したとのこと。我々も見回り品を整え、12時大遠見を後にする。先行隊に追いつくべく休憩もそこそこにハイピッチでとばしてゆく。遠見小屋に着くなり「下山すれば大又さんのお宅の本部に立ち寄ってもらいたい」旨の伝言を了承し下山。途中、先行隊に追いついたころ、ヘリコプタ−が五竜小屋方面へ向い、すぐに大町方面へ帰る姿を確認、下で無事大町病院に収容されたことを聞いてホットする。  下山後、弘田、菅田2名本部に立ち寄り、我々の知る範囲の詳細な模様を連絡し、装備を渡して帰路についた。  神城から大糸線、日本海回り、富山から夜行列車にて帰神。

  ■ 5月6日(木) 晴れ

早朝大阪着。

シリーズ目次に戻る
ホームページに戻る