仲間と登った想いでの山々

昭和40年夏山合宿 北アルプス分散縦走
(Bコース)針の木岳〜槍が岳


と き昭和40年8月2日(月)〜8月8日(日)
コ−ス
神戸=大町=扇沢〜針の木雪渓〜峠〜針の木谷〜船窪岳〜不動岳〜南沢岳〜三つ岳〜野口五郎岳〜鷲羽岳〜 三俣蓮華岳〜樅沢岳〜槍が岳〜槍沢〜新穂高温泉=高山=神戸
メンバー(CL)菅田(SL)大学、後藤、前畑、津川、山東、貝賀、沖本

行 動 記 録

■ 8月2日(月) 晴れ

今回も定時後に飛び出し、国鉄大阪駅19時10分発の急行"日本海"に乗る。毎度のことながら夜行列車は睡眠を取るのがたいへんだ。明日の行動のことを考えれば、少しでも眠っておかないと・・・と、焦る気持ちと裏腹に、窮屈な姿勢での睡眠に悪戦苦闘。

■ 8月3日(火) 晴れときどき曇り
針の木雪渓末端不動岳頂上


糸魚川駅に夜中の3時53分に着き、大糸線乗換のため下車、まだ暗い。大糸線始発の5時17分まで寒いなか待たされる。  5時17分発。大糸線の車窓から見る白馬連峰、後立山連峰の眺めに夜行の疲れをなごましてくいるうち、7時13分大町着。しばらく待ってバスに乗り、8時30分に扇沢に降り立つ。  靴の紐を締めなおし、身支度を整え全員で準備体操をし、津川、沖本、貝賀、大学、山東、前畑、菅田の順で今日の目的地である針の木峠めざして出発する。途中大沢小屋にて雪渓の状況や、テント場の状況を聞くと、マヤクボ沢では設営禁止、水場は峠の1ピッチ手前にあることなどの説明を受ける。  1時間ほど歩くと針の木雪渓の末端に着く。いよいよ雪渓の登りだ。スタミナをつけるべく、思い思いに行動食を口ほうばる。2、3のパ−ティが我々より先に登っているが、スケ−ルの大きい雪渓の上では虫でも這っているようにしか見えない。アイゼンは持参していないのでここからの雪渓の登りには十分注意し、一歩づつをしっかり踏みしめ登るよう指示をして出発する。  "のど"と呼ばれる一段と急で両岸がせまるあたりからガスがかかりはじめ、上も下も視界が無くなる。案外見えないほうが高度感が湧かずに済むかもしれない。  マタクボ沢を過ぎ、雪渓が少し細くなってきたころ、大沢小屋で聞いてきたとおり、雪渓の割れ目から水を汲んでいるパ−ティが目に入った。我々もポリタンや布バアケツを出し水を入れ、峠まで運び上げる。針の木雪渓もやっと終わり、峠に立つ針の木小屋に着く。すぐ近くにあるテント場での設営届けを済ませ、小屋の前でグリセ−ドの練習をしているパ−ティを横目にテントを設営。18℃ 何度かA,C隊との交信を試みたが通信不能。夕食後、明日の行動は予定通り船窪小屋テント場まで行くことを伝え、日暮れと共に皆おもいおもいにアルプスの第一夜の眠りに着く。遠くで聞こえる雷の響きを夢枕にして。

■ 8月4日(水) 晴れ

烏帽子のテント場表銀座縦走路 三つ岳付近


4時30分起床、気温9℃。肌寒い感じだが今日も晴れそうだ。インスタントみそ汁で朝食を済ませ、テントを撤収。この先の縦走は針の木岳とは反対の方向になるため、朝のうちに針の木岳を空身で往復することとし、6時15分に出発する。途中学生山岳部の縦走パ−ティと出会うが、どうやらもう20日くらい山の生活をしているらしく、ホ−ムシックにかかり、都会の生活を懐かしがっているような口ぶりのなかにも、十分夏山を満喫しているようだ。我々は2日目でもあり、元気もよいし水筒ひとつの空身である。ぐんぐんピッチを上げ6時50分に針の木岳頂上に着く。喉をうるおし休憩しながら、これから先たどるであろうはるか彼方の槍が岳までの道のりをおね伝いに追ってみる。遠い! A隊、C隊の連中はどうしているだろうか? A隊は今日は薬師岳を往復し、カベッケが原から薬師沢の小屋テント場まで、C隊は太郎平から黒部五郎岳・三俣蓮華岳を経て双六小屋テント場迄のコ−スである。それぞれ頑張っていることだろう。  それにしても、ここからの眺めも素晴らしい。眼下の黒部湖を挟んで立山・剣岳、針の木から北へ延びる後立山の峰々が連なっている。  針の木岳往復を終え、テント場から重い荷を担いでの縦走が始まる。ここから蓮華岳、北葛岳、七倉岳の稜線つたいに進むべきではあるが、このコ−スは北アの難所の一つで現在は殆ど歩かれていないとのガイドブックの解説にそい、峠からは昨日登ってきた雪渓とは反対側になる針の木谷を下る。せっかくふ−ふ−言いながら登った3000m近い稜線から、1800m迄の下りに勿体ない気持ちはあるが仕方ない。  谷の出合いの水場で、これより先では存分に飲むこともできなくなる清らかな水をたっぷり口にしながら、行動食をとる。  船窪新道の取りつきが判りにくかったが、一つ下の出合いから尾根道をぐんぐん登ってゆくことになる。あの剣岳の小窓乗越の急斜面の登りを思わせるけわしさだ。喉の渇きをしきりと訴える女性軍に何度かの水の補給の休憩をし、13時20分船窪のコルに着く。  さらに急斜面はつづき、しかも右手は不動沢のガレ場で、スリップでもしようものなら、下まで止まらずに滑ってゆくだろう。疲れてきた足元に気を付けるように指示し進んでゆく。  14時15分、船窪の小屋着。ここでテントを張ると20円とられるので、さらに5分進んだテント場を今夜の野営の場とする。近くには湧き水もあり静かなテント場に皆満足。

■ 8月5日(木) 晴れ

4時起床。昨日の疲れも一晩眠るととれる。テキパキと朝食を済ませ、テントを撤収し全員で元気に体操を終え、5時35分に出発。朝の1ピッチは昨日登ってきたところを船窪のコル迄下ることからはじまる。行く手遠くに目指す"槍が岳"が見えはじめる。コルから樹林の登りとなり、5万分の1の地図上に示された船窪岳(2459m )に8時5分着。出発前につくったニギリメシをほうばり、レモンで喉をうるおす。"誰?変な食い合わせを考えたのは。"  アップ・ダウンの激しい尾根を不動谷側の崩れに注意しながら進み、9時45分に不動岳の登りにかかる。あまり快適とは言えないこの登り下りに、"もうこないぞ!"とぼやきながらも結構楽しんでいる様子。不動岳で後発の後藤氏との交信が出来る。"ごんた泣かせ"の坂を烏帽子岳に向け快調なピッチで登っている様子に安心する。こちらも遅れず飛ばさなければと出発。南沢岳コルにてA隊、C隊との交信も試みたがやはり交信不能。電波の届きにくいところを歩いているのか、トランシ−バを開局していないのか不明であるが少々残念。一方、後藤氏の方からは、"烏帽子小屋に到着"の報がはいってくる。やがて烏帽子岳を過ぎ、雪田と池塘が点在し、コマクサの咲く気持ちのよいところとなり、後藤氏の出迎えを受ける。烏帽子のキャンプ地に向かう途中、チョロチョロ解ける雪解け水を確保しながら、16時からのラジオの気象通報で天気図の作成も忘れてはいない。16時40分テント場着。  今夜はBコ−スのメンバ−も揃い、ひときわ賑やかな夕食となり150円の缶ビ−ルで乾杯!台風接近の影響か、雲ゆきが少しあやしくなってくるが、皆そのうちグ−グ−。

■ 8月6日(金) 曇り

野口五郎岳より槍が岳を望むぐんと近づいた槍が岳・樅沢岳より


4時起床。昨日迄のコ−スの静けさとはうってかわった賑わいのこのテント場の朝が明ける。さすが北アルプスの裏銀座コ−ス、テントの数も、色も賑やかである。  6時丁度、体操を済ませ今日も元気に出発する。途中雪田や高山植物の咲き乱れる尾根道に、夏山気分を満喫しながら進み、三ツ岳の頂上を通過する。目指す槍が岳がかなり近づいてきた様子が実感として伝わってくる。  なだらかな野口五郎岳のピ−クを通過したところで今日一回目の行動食とする。おにぎりとパイ缶、今回の食料係は実にユニ−クな取り合わせで食べさせてくれる。小さなピ−クを幾つか越えながら進み、水晶小屋に着く。ここは、屋根もなく避難小屋にも使えないだろう。  このあたりから風も強くなり、台風の影響が次第に現れてきはじめる。若干の行動食を口に入れ、先を急ぐ。黒部源流と鷲羽岳への縦走路分岐点で再びA隊、C隊との交信の電波を飛ばしてみたが不発に終わる。黒部源流わさび平の水場で大休止。針の木谷で飲んだ水場以来の豊富な水に皆上機嫌になり、またまた行動食のディナ−が始まる。  15時25分、やっと今日の目的地の三俣蓮華テント場に到着しほっとする。風がきつく汗がすぐに冷え寒くなる。汗を拭き、セ−タ−を着込み設営を開始。雨がポツポツと降り始め、今夜の台風接近を思わせるが、小屋の素泊まりが500円もするので、やっぱりテントを張り、天候悪化の具合を見て小屋への避難態勢で頑張ることとする。夕食もテントの中で済ませたが、風雨はさらにひどくなる。ラジオのニュ−スに耳を傾けながらそのうち眠りについてしまう。>BR>
■ 8月7日(土) 曇り

昨夜は22時のラジオ気象通報で天気図を作成し、その後の台風の動きを調べる予定であったが、皆眠り込んでしまい起きて聞く者無し。幸い台風も直撃が避けられたらしく、今朝はかなり穏やかになっている。台風一過の晴天とまではいかないが、十分行動可能な天候であり、予定どおり最終テント地の槍平へ向け6時25分に出発する。 「グエ− グエ−」と特徴のある鳴き声と、人なつっこいしぐさで先導してくれる雷鳥親子に「おはよう!」と挨拶を送る女子部員たち。高山植物が多く咲きみだれる双六岳山腹の水平道を進み、途中一息つくには恰好の水場で小休止。  8時30分、双六小屋着。ここで名古屋製作所の名菱会山岳部のパ−ティに出会う。彼らも北アルプスでの夏山合宿を終えここから鏡平に向かうとのこと、秋の恒例行事の全場所交歓登山での再会を約して別れる。双六小屋ではA,C隊の伝言メモが預けてあったので受け取る。A隊は今日中に下山し帰神、C隊もここから穂高へ向かっている模様。  樅沢岳を通過するあたりから、正面に眺める槍が岳はその穂先を天上に突き上げ、西鎌の痩せ尾根を我々の足元まで延ばしてきている。いよいよこれからクライマックスの槍が岳登頂だ。  12時30分、宮田新道出合いの千丈沢乗越にザックをデポし、空身で槍が岳往復に向かう。やはり空身は楽だ。北の方向に延びる北鎌尾根の岩稜は、東鎌尾根や西鎌尾根とは異なり、容易に人を寄せつけない荒々しさを誇らしげに、まるで、研ぎ澄まされた刃を天に向け横たえ、千丈沢・天上沢の合する千天出合いへ切れ落ちている。クライマ−野憧れるル−トのひとつであり、おそらく今も幾つかのパ−ティがザイルを伸ばして登攀していることだろう。  槍の肩から頂上への登りは、岩登りの基本となる3点確保姿勢、即ち両手両足4点のうち、必ず3天は岩に付け、登り下りの移動は片手または片足のいずれか1点のみを、次のスタンスへ移す動きを守りながら一歩づつ登ってゆく。足元からスッパリ切れ落ちた高度感のあるフェ−スや、鉄はしごを登り、13時55分、今回コ−スの最高峰である槍が岳頂上3179.5mに立つ。  360°の展望は雄大そのものである。なかでもここまで歩いてきた針の木岳からの数々の山並みを眺めると、また感慨もひとしおである。よくまああんなに遠いところから歩いてこれたものだと、頑張った足をいたわってやりたい思いとなる。  登ってきたル−トとは少し離れた下り専用のル−トを慎重に下り、荷物デポ地点から再びザックを担ぎ、蒲田川右俣谷を下ってゆき、約2時間で槍平に着く。今回の縦走もここが最後のキャンプ地である。  ここからの穂高滝谷の眺めは素晴らしく、山小屋では、日本で最高地点にある北穂小屋が、よくまああんなピ−クのところに建てたものだと感心するほど荒々しい稜線の北穂頂上のすぐ北に建っているのが見える。頂上より第一尾根、そのすぐ右に第二尾根、さらに威風堂々のド−ムから派生した第三尾根、白いルンゼと呼ばれるCルンゼ右俣をはさみ、第四尾根、Dルンゼが正面に位置した形に我々もすっかり魅了する。時間的にもモルゲンロ−トの夕映えがまぶしく輝き、スケッチする手も休みがちになる。ここまでの苦しかったことも、たちまち良き思いでに変えてしまう魔力のようなものが伝わってくる。  この日の晩餐に残しておいたとっておきの肉でステ−キを焼き、満天に晴れ上がった星空にシルエットに映る滝谷を夢の友とし、贅沢な一夜を過ごす。テントに入るにはもったいなく、シュラフを取り出し外で寝る。

槍が岳への登り縦走を終えて・槍平にて  バックは滝谷


■ 8月8日(日) 晴れ

 

今日はいよいよ下山日である。皆思い思いにここまでのコ−スを頭に振り返りながら右俣谷を下ってゆく。芯穂高温泉の中崎山荘にご無理を言い、温泉に入れてもらい1週間の汗を流しさっぱりする。  誰に出すのか山の便りをせっせと書いている女子部員。湯上がりのビ−ルに幸せいっぱいの野郎部員。 「この次は泊まりで来るからね!」の帰りの挨拶に「ほんとかね!」と気さくな返事に送られバスに乗り込み、我々B隊も帰神の途についた。

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