仲間と登った想いでの山々

昭和42年春山合宿 北アルプス槍が岳集中登山(本隊)


と き昭和42年4月28日(金)〜5月5日(金)
コ−ス
神戸=高山=新穂高温泉〜槍平BC〜中崎尾根上部C1〜西鎌尾根から槍が岳頂上アタック〜BC〜新穂高温泉=高山=神戸
メンバー(CL)鈴木(SL)菅田、後藤、小川、石村、伊藤、高見、周治、小林、谷口、山田

行 動 記 録

■ 4月29日(土) 晴れ

新大阪21時35分発の新幹線"こだま"でスタ−ト。名古屋からは岐阜経由高山線に乗り継ぎ、夜行列車で高山へ向かう。

■ 4月30日(日) 快晴

まだ明けやらぬ3時35分高山駅着。チャ−タ−しておいた小型トラックに乗り、4時15分高山を後に新穂高温泉に向かう。 途中K隊が槍見下で下車、笠が岳へのコ−スに入る。 新穂高温泉登山案内所に登山計画書を提出し、もう少し奥まで入れそうだということで進み、柳沢出合いを過ぎたところで下車。 各自荷を点検し、体操の後7時30分入山開始。 白出沢出合の少し広くなったところで小休止、さらにぶどう谷出合、滝谷出合の雪崩のデブリを越えながら進み、槍平手前当たり から雪も深くゆるくなり、ザックの重みも手伝ってボソツ ともぐり込むことしきり。腰までもぐると自力では立ち上がれず、手を引 っ張ってもらうか、ザックを一度外して抜け出るしかない。一度かのパンチをくらうと体力の消耗が大きくスタミナに影響する。 体重の重いものほどこのパンチはきついようだ。 途中行動食をとり長い道のりをフ−フ−言いながら13時10分槍平の冬季小屋(無人)に着く。振り返れば穂高滝谷が荒々しい 威容で迎えてくれている。ド−ムをはじめ数本の岩稜が北穂と涸沢岳を結ぶ稜線から削ぎ落とされたように切れ落ち、その間を豊富 な残雪を抱えた急峻な沢が食い入るように駆け登っている。その沢筋には何れも雪崩の爪あとが残り、人を容易に寄せつけようとし ない有り様がうかがいしれる。 冬季小屋をベ−スハウスとし、テントはここでは張らずに小屋を使用する。一段落したのち、新人 を対象とした雪上訓練のため右俣上部へ足を伸ばす。南岳側はデブリが多く、中崎尾根側は雪上訓練にはやゝものたりない斜面である。 それでも適当な斜面を見つけ、各人で滑落停止訓練、二人一組になっての滑落者停止確保訓練、グリセ−ド訓練など雪の斜面における 安全な登降訓練を実施する。岩登りとはまた違った技術であり、訓練の機会が岩登りに比べおのずと限定されるため皆真剣である。 訓練途中より菅田他2名で明日以降の行動の参考とすべくさらに上部へ偵察に出かける。残雪量は平年並みと聞いていたが、 やはり上部はまだまだ冬の領域の感が強く、天候次第では降雪も十分に考えられる。明日予定している中崎尾根AC地点への取り 付き点を確認し槍平のベ−スハウスへ引き返す。

■ 5月1日(月) 晴れ

5時起床(炊事当番は4時起床)、今日は昨日とはうってかわって曇天で夜が明ける。今にも降りだしそうな雲行きである。 降りだすのも時間の問題であろう。しかしそれまでじっとしていてもつまらない。雨具と行動食、雪上訓練装備を持ち小屋を出発する。 昨日のトレ−ニング場所より少し離れたもう少し傾斜のきついところを今日のトレ−ニング場とし訓練する。少し傾斜が増しただけの ようだが滑落のスピ−ドはぐんと速くなり、その分停止させようとする力や衝撃も大きくなる。訓練も次第に慣れて、コツを覚える 頃雨が降りだしたため、一通りのおさらいをしひきあげる。

 午後からは小屋にて停滞となり、退屈な半日を過ごす。16時のラジオ気象通報で作成した天気図からの判断としては、明日は天候 も回復しそうである。今日はB,C,K各隊とも停滞している模様。

■ 5月2日(火) 晴れ

3時全員一斉に起床。満天の星空である。今日は晴れると思うと気分も浮き足立つ。はやる気持ちをおさえ、 朝食ののち各自パッキング、出発の準備をする。  5時、槍平冬季小屋を出発。今日は中崎尾根上部にC1テントを設営することとしており焦ることはない。 朝のうちは雪もよく締っており、アイゼンを効かして登ってゆく。沢をつめ槍の頂上へ向け大きく右へ折れるあたりまで くれば右俣も大詰めである。迫り来た槍の穂先を仰ぎ見ながら、重いザックでアゴを出さないよう頑張る。  10時丁度に槍の西鎌尾根の稜線に着き大休止。槍への登頂は明日に予定しており、今日はC1キャンプ設営が先決である。 西鎌尾根を下り、千丈沢乗越より中崎尾根に入り、標高2400mのC1キャンプ地点に着く。 槍平小屋のあたりにくらべこのあたりは残雪も多く、さっそくテントの設営にかかる。  槍が岳を真近に望み、穂高、笠・抜戸の稜線の見晴らしがよい。素晴らしい場所にC1キャンプ地が誕生した。

■ 5月3日(水) 晴れ

5時起床、テントキ−パに山田、小林を残し9名で出発。西鎌尾根千丈コルを経て槍の肩向かうが、左には千丈沢が北鎌尾根、 硫黄尾根を両脇に従えて広く長く千天出合へと下っている。沢の上部には雪崩のあとが残り、我々が入山してきた蒲田川右俣の沢と はかなり様相が異なり、容易に人を寄せつけようとしない姿が伺える。槍が岳には東西南北にそれぞれ顕著な尾根を張出しているが、 中でもここから眺められる北鎌尾根は唯一一般ル−トのない岩稜である。この尾根を眺めていると、新田次郎の「孤高の人」 のモデルとなった「単独行の加藤文太郎」が思い浮かんでくる。彼も三菱の人間として働いていた人である。彼がこよなく愛し た山々は、四季を通じ山域を問わず常に単独行で登山をした人であったらしい。その彼が唯一2人で登った厳冬の北アルプス槍が岳 北鎌尾根で遭難し、帰らぬ人となったのは昭和11年1月3日のことであった。今なおその時の状況は定かではないらしいが、何時もの ように単独行であったなら別の結果になっていたかも知れないとも言われている。  やがて稜線上の行く手に大きなピ−クが迫ってくる。にせ槍と言われるピ−クで、ガスッていれば間違いやすいピ−クである。 槍の肩で大休止。ここから槍の穂先のピ−クにはさらにメンバ−を絞り、4名で頂上に向かう。ここからの登りは積雪期としては 始めての登攀となる。肩から穂先までのル−トは夏山のル−トと同じであるが、ところどころで残雪が凍っているところもあるが、 総じて南の斜面を登ってゆくため、日陰は少なく雪解けも早いようだ。急な岩の斜面を手足のスタンスをしっかり確保しながら3点 支持で慎重に登り9時35分槍が岳頂上に立つ。  しばし大パノラマの展望を満喫したのち下降。槍の肩から西鎌尾根経由で今朝来たル−トをC1へ向けて下り11時50分C1帰着。    他の隊の行動状況は無線交信の結果下記のとおりであった。    B隊(北穂高アタック)・・・大キレット南進中    C隊(蒲田富士〜槍が岳)・・涸沢岳頂上    K隊(笠が岳〜槍が岳)・・・西鎌尾根樅沢コル  各隊頑張っているようだ。 その後B隊は17時40分南岳に設営、C隊は16時北穂の小屋へ入り、K隊は16時05分C1へ到着、我々と合流する。

  ■ 5月4日(木) 晴れ

4時40分起床、今回は1日は停滞したものの、天候に恵まれ、予定の行動を終えたのでA隊、K隊は本日C1を撤収し一気に 下山することとし、6時05分C1を出発。苦労しあえぎながら登ってきたコ−スを、今日は荷も軽くなり満足感にしたりながらの 下山である。滝谷出合を過ぎ、白出沢の出合の手前で雪も消えはじめたのでアイゼンを外す。久しぶりに靴底から地面の感触が伝わ ってくる。  途中適当な水場で休憩、残った行動食をとりたらふくたいらげる。11時35分新穂高温泉の中崎山荘に立ち寄り入浴と休憩をさせ ていただき、1週間の汗を流しサッパリした体でバスに乗車し高山へ。  一度高山の町をゆっくり歩いてみたい気持ちを抱きながら今回もパス。名古屋経由で帰神の途に着く。  21時35分新大阪駅着。22時30分帰宅。

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