会社定時後一旦帰宅し、大阪駅に集合。座席指定が取れていたので、気分的にも楽だ。三々五々各自重いザックにピッケルを携え、プラットホ−ムに集まってくる。春山とはいえ、装備は冬山と変わらない。強いて挙げればワカンが無い程度である。鈴木氏は張り切ってスキ−持参での参加である。
今回も乗り慣れた夜行急行で出発する。
■ 5月1日(日) 晴れ
大糸線神代駅下車。各自持参した朝飯をここで済ませ、準備体操で身体と精神に気合をかけ出発する。
12年前の昭和40年にも、五竜岳遠見尾根で春山合宿を行っており、このル−トは2度目となる。前回と大きく変わったのが、テレキャビンが設置され、かつてはすぐにアイゼンを付け、急な雪面の斜面を喘ぎ喘ぎ登った遠見小屋迄の3時間の登りは、今は駅から30分も歩けばテレキャビンの麓の乗り場に着き、4人乗りゴンドラに乗れば、9分の空中散歩で標高1500mの遠見尾根末端に建つ小屋の前まで運んでくれることだ。
従って前回は、遠見尾根のベ−スキャンプ地となる "大遠見"までは、一気に入れず、途中小遠見あたりで、1泊テントを張ったのがついこの前のようによみがえってくる。
尾根の末端とはいえ、ここからは一気に視界も開け、後立山連峰の唐松岳・白馬岳の真っ白い峰々が機嫌良く迎えてくれている。
テレキャビンで上がってきたスキ−ヤ−を尻目に、我々はここからアイゼンを付け、大遠見尾根ベ−スキャンプ地へ向かう。尾根は所々少し痩せたところがあるが、比較的雪も締まっており歩きやすい。
小遠見山への急斜面を登ると、視界はさらに開け、後立山連峰の盟主 "鹿島槍が岳" の北東面 "カクネ里"が正面に現れる。苦労して登った者のみに与えられる素晴らしい景観である。
何度かの休憩の後、大遠見山のピ−クを越えた平らな所を今合宿のベ−スキャンプ地と定め、テントを設営する。
■ 5月2日(月) 強風雨
今日は朝から激しい風雨に見舞われ停滞となる。特に風が激しく、テントを激しく叩く音はすさまじい。トランシ−バを開局していると、向かいの八方尾根にテントを張っているパ−ティのテントが、今にも吹き飛ばされそうな交信が入ってくるがここではどうにもならない。
■ 5月3日(火) 強風
今日もまともな行動が出来るような天候ではなさそうである。昨日八方尾根でテントが飛ばされそうだとトランシ−バで交信していたパ−ティの交信では、やはり2張り飛ばされてしまったらしい。
午後、少し天候が回復してきたので偵察に出るが視界が無く、偵察にならないため引き返し、鈴木氏のスキ−で楽しむこととなった。
■ 5月4日(水) 晴れ
やっと晴れた。五竜岳第2尾根登攀や、唐松岳まで足を延ばしたアタックも計画していたが、天候不純のためとにかく五竜岳の頂上アタックを優先に、今日は行動することとし全員でBCを出る。
停滞が長かったため、はやる気持ちも大きいが、決して焦ることなく白岳の雪稜を越え、五竜の小屋をへて頂上への主稜をたどる。思っていたより視界はきき、剣・立山連峰から、薬師岳に伸びる稜線がくっきり目に映ってくる。突き上げるような頂上直下の雪の斜面をアイゼンをきかし登りきり頂上にたどり着く。
12年ぶりの頂上である。下界では高度成長だの、石油ショックだの、山肌をどんどん削って開発がつづけられ、町も周辺の山々もどんどん移り変わっているが、ここはちっとも変わっていないことにホットする。昭和38年から40年にかけて集中的に登った、鹿島槍や針の木岳、冬山合宿を行った爺が岳の山々がなつかしい。
12年前の春山は記録的な大荒れとなり、春先に発生する台湾坊主(発達性低気圧)の直撃を受け、記憶ではこのあたりで、1m位の積雪があり、ゴ−ルデンウィ−クの1週間は、連日遭難事故の報道がつづき、20数件、58名の死者が出た1週間となり、我々もここで三菱重工高砂製作所の遭難者に出合い、救助活動に加わった場所でもある。
ここちよいひとときを頂上で過ごし、BCへ引き返すべく下降開始。このあたりは登りより、下りのほうがやっかいである。ステップをきって登ってきたコ−スを、8本のアイゼンの爪に体重を預け、急な斜面を慎重に下る。五竜の小屋までくれば、尾根もなだらかになり、BCまでは快適な雲上の散歩道と変わる。
■ 5月5日(木) 晴れ
今日はもう下山日。停滞日に日もとられ、行動範囲が限られてしまったが、これも数多い山行きの中では仕方のないこと。いさぎよく引き揚げることとする。4泊5日にわたって風雨から守ってくれたテントを撤収し、往路を下山する。